森を見ていた午後
2017-06-25
こんな閑静な所に店が?ありました自然素材を活かした料理の
時間を忘れて森を見ていた午後
休日の休日たる意味は何か?果たして真の意味で休日を過ごしているか?自らを顧みてそんなことを考えた。時に、今まで行ったこともない空間に行って見たくなる衝動に駆られる。その地域を知らないわけではなかったが、あの路地を曲がって細道に侵入し、対向車と待ち合わせないとすれ違えないところを抜けて至った場所。賢治の『注文の多い料理店』が典型なように、確か小学校の時にそんな博物館に辿り着くと「反転」的自己発見をする物語を読んだことがある。自らの主観や欲求が酷く傲慢なものだと自覚され、真逆の方向から見つめ直しその危機を悟る物語。それは、決して人には教えたくない場所として、こころの再生場所として位置付けられる。
かなり昔になるが、ユーミンの「海を見ていた午後」という曲がある。横浜は山手のレストランから本牧埠頭を見ているという場面を歌ったものだ。そんな特別で高級な生活観がもてはやされた時代もあったが、現代の特に地方には「古民家再生」のカフェがよく似合う。何の変哲も無い古民家に手作りの看板、庭は綺麗に整備されているがまったくの自然の中に置かれている空間。田舎の親戚の家に行ったかのごとく玄関から靴を脱いで上がり、偶然に空いていた窓際の席に座ることができた。野菜を中心に自然素材を活かしたランチの料理と、その雰囲気のマッチングが心憎い。客はなぜかほとんどが女性、回転のよい街中のカフェとはまったく違う余裕が感じられる。その後はやはり「海」も見たくなって宮崎港へ。フェリーを眺めながら「雨の埠頭を見ていた午後」へ早変わり。こうした地理的条件も宮崎ならではである。
心身の回復に空間の効用
身体に優しい料理が嬉しい
雷鳴とともに雨は強まるが、心は穏やかな土曜日であった。
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