ICT授業支援を考える
2017-06-22
タブレットによる学習者発信教材提示装置の可能性
授業は教室はどう変わっていくのか?
1970年代の学校の教室と現在では何が違うのであろうか?一斉授業形式の机配列など表面上は特段何も変わっていないともいえるが、最近は少なくとも「教材提示装置」などの類は多くの教室に備えられたように思われる。70年代当時にもやはりテレビはあったが、扉付きの箱のような中に格納されていて、NHKの「道徳」番組などを視聴するとか、特別な折しか起動することはなかった。時折、誰かが悪戯して民放チャンネルに”回し”たりすると、教室は特別な空気感に包まれたものであった。そのテレビの用途は、現代では確実に変化したといってよい。「教材提示装置」が接続されるだけで、「実物」を全員に拡大して見せることができるようになり、教科書そのものから学習者のノートの一部、様々なサンプルなどを投影して授業を進めることができる。
さらにはタブレット端末の普及によって、大きな「提示装置」はなくとも同様かそれ以上の機能を展開できるようになった。保存しておいた写真の提示のみならず、教室その場で様々なサンプルを撮影して即座に提示することができる。もちろん動画再生も簡単に実行でき、教室の局所を”生中継”することもできるようになった。この日は、附属学校園との共同研究において、タブレット端末を授業支援システムに接続し、双方向性のある情報送受信をワークショップ形式で体験することができた。各タブレットに書き込まれた情報は「親機」に一括表示されて前面に投影され、特定な二例などを比較提示することもできる。次から次へと書き込む情報は即時更新され、思考の流れがどう変化していくかを指導者はもとより相互に見える化することができる。班別活動をした際に他班は何をどう書き込んでいるかを前面のテレビ画面を見れば把握することができる。もちろん各班が机上で撮影した写真も提示することができて、過程をリアルに実況中継することも可能だ。各班がホワイトボードを使用することと比較して、機能の違いをどう活用するかは、やはり「授業戦略」次第ということになろうか。残念ながらICTの導入に関しては、宮崎県は全国でも後進であると言わざるを得ない状況のようだ。
もう既に多くの子どもたちが家庭でタブレットを扱っている
そしてまた指導者もスマホは生活の一部となっている
教室の外見以上に指導者・学習者の「生活」が大きく変化しているということだろう。
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