命ある声を子どもたちへ
2017-06-15
「声をあげる」ことの重要性そしてプロの声を生で聴くこと
教えようとせずしておのづから学ぶということ
声優の渡辺菜生子さんをお迎えした、3日間にわたる附属小学校での鑑賞教室が終わった。各学年の子どもたちは活気に溢れ、我も我もと表現する楽しさを体験した。発声練習はあったものの、菜生子さんが特段何かを理屈で「教えた」という訳ではない。自らの存在そのもの、命のある声そのもので、子どもたちを前に絵本語りを実演した。そのいくつかの場面における台詞を表現する子どもたちは、発表が続くうちに次第に一人ひとりの個性的な「声」で演じるようになった。「声色」というものが、受け止める側に多様な影響を与えることを身体で学んだようだ。また、通常の授業では、「みんなとおなじ」でなければならないという暗黙の了解の中で発表せざるを得ない場合も多い。だが「表現」というのは自由であり、人の数だけ個性的な「表現」があることを楽しむことができた。これもまたプロの声優さんの相手の心まで届く声の賜物であると、実感することもできた。
「声は命」といってもよい。絵の中では「眼が命」であるならば、そこに心の動きを与えるのが「声」であろう。通常はアニメやナレーションを聞いていると気づかないが、声優さんの「声」は絶大に「命ある声」として僕たちに届けられている。僕たちが「ちびまる子ちゃん」の世界観を実にリアルなものとして受け入れていくのは、この二つの「眼」と「声」が相乗効果を発揮して「生きた人」のように思えるからであろう。「声」が「ことば」がリアリティを持つというのは、こういうことでもあり、実感できる「声」を出せるかどうかが高次元であることの証である。子どもたちが真の意味で「主体的」であったのは、「命の声」を聴いたからなのである。身近な日常生活に動画が氾濫し、現実と虚構の区別が曖昧になり過ぎている世の中にあって、「命ある声」により「ことばのリアリティ」を実感する体験が、いかに貴重かを僕自身が再確認する機会ともなった。
渡辺菜生子さんの人間味あふれる声
子どもたちに「命ある声」を
本日、18時14分〜UMKテレビ宮崎「スーパーN」にて鑑賞教室が報じられる予定である。
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