歌は恋歌

2017-06-12
「君は歌を詠むのかね?」
「いえ、和歌研究をしようと思います。」
「失恋でもすれば、歌を詠む気になるよ」

学生時代に学部・日本文学専攻の学生研究班代表委員という役職に就いいた。各時代作品ごとの研究班全体をまとめて、専攻合宿や謝恩会の企画を先導したり助手の方と学生の連絡役のような仕事をしていた。4年生の時、専攻合宿に行くと佐佐木幸綱先生が少々遅れていらっしゃるということで役職柄、合宿先から西武秩父駅まで片道約40分〜50分の山路を車でお迎えに上がったことがある。講義を受講していたにしても、幸綱先生とマンツーマンでこれほどの時間を話せる機会というのは、身に余る光栄であった。その折の先生と僕との会話の契機が、冒頭に記した内容である。そのとき、青臭い学生ながら「歌は恋歌」という感覚が、深く自分の中に根ざしたのを鮮明に記憶している。それでも尚、融通のきかない当時の青二才は、「古今集」の季節詠から順序立ててやろうという杓子定規から抜けられず、恋歌の探求に至るにはだいぶ時間を要することになる。そして今や歌を詠むようになって、あらためてこの幸綱先生との会話を思い出すに「歌は恋歌」だという思いを強くするのである。

古典和歌の「恋歌」は、女性の嘆きを訴えるものが多い。そこには「一夫多妻制」という社会的制度のあり方が大きく関わっているだろう。休日の夜、大河ドラマからの延長でスペシャル番組を観ていると、現代では「夫に怒りを顕にする妻」が多いというテーマを扱っていた。その前提として、「一夫一妻」の歴史よりも、近代社会以前の子孫確保を最優先した「一夫多妻」の歴史の方が遥かに長いのであると説かれていた。特に現代社会は共働きが多く、女性も男性的なホルモン値が上昇してしまい、家庭内でイライラする現象が顕著になってきたと報告されていた。番組では様々な実験がなされており、しっかり相手と向き合った姿勢で話すとか、手を握り合いながら話すことで、「オキシトミン」というホルモン分泌が増してお互いが穏やかに気持ちになれるという夫婦関係の簡単な改善策を紹介していた。要は「何歳になっても恋心」ということなのだろう。こうした意味で幸綱先生の相聞歌はもとより、30年目の『サラダ記念日』を再読・再吟味することが、自らの学生時代から今に至る時間を遡求して再確認する作業ではないかと最近は思っている。男女双方の視点から対話的に読む『サラダ記念日』は、今も尚様々な考え方を起動させてくれる。

通念を踏み外す表現の領域へ
研究者としての計算を乗り超えて
あらためて歌は恋歌とおもう深き宵の口
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