「信じたものはみなメッキが剥がれてく」再び

2017-06-09
「虎の威を借る狐」
他の権勢に頼って威張る小人物のこと
自らの汚点は他者への非難として自らを暴く

標題とした歌詞を含むサザンオールスターズ「栄光の男」という楽曲については、以前も小欄に記したことがある。昭和の代表的な「光景」といってよい長嶋茂雄現役引退の場面を、ある男が「立ち食い蕎麦屋」のテレビで観て、人生を深々と考えるという内容である。「巨人・大鵬・玉子焼」と言われた1960年代・東京五輪前後に展開した高度経済成長期にあって、「巨人」は絶対的な「強さ」のあるプロ野球球団として多くのファンを魅了すると同時に、様々な経済効果をもたらせた。やがて1970年代になるとオイルショックとともに巨人のV9も途切れ長嶋茂雄の引退となる。その引退セレモニーで放たれた「我が巨人軍は永久に不滅です」の名言には、僕も幼少ながら心の底に熱いものを感じた記憶がある。たぶん世代を問わず、この時代を生きてきた人々にとって、あの光景は心に刻み込まれており、一時代の終焉とともに過去の経済成長を夢見る社会が保存されたのではないかと思うのである。その後の80年代バブルを受けて、日本社会は「失われた」と評される時代に突入。今もまた空吹かし全開で出口の見えない迷走を続けざるを得ない状況が、続いているように思う。

長嶋茂雄が現役引退後監督に就任した1年目、巨人はシーズン最下位に沈んだが、その1975年に11連敗という球団連敗記録があった。その記録を更新する事態に現在の巨人は陥り、とうとう13連敗に至った。少年の頃から僕も「狂信的巨人ファン」の一人であったが、2000年代になった頃から「批判的野球愛好家」に転じた。その理由はまさに「メッキが剥がれた」と悟ったからである。過去の威光・権勢・財力・球団名・ユニフォームに依存した「野球」を妄信的に応援し続けることは到底できなかった。こうした過去に抗うように、権勢などより自らの哲学で野球に挑むイチローが米国に渡る。2000年代の僕はイチローを追い掛け、WBCの興奮に酔い痴れた時代でもあった。2010年代となって既に2度のWBCが開催されたが、いずれも結果が出ず。その中にあって、代表チームを牽引すべき巨人の選手たちの影が実に薄いのを痛感する。「箱庭」の中で風向きや芝目の影響を受けない「温室」野球の成れの果て。この球団連敗記録は、単に現在の球団組織構成の問題にあらず、こうした何十年にわたる自己改革なき体質が導いた必然のような気もするのだ。憂い深いのは、この13連敗という姿が社会を投影してしまっているのではという懸念である。あらゆる力に任せた一強政治、何をしても我が威光を「正義」とする傲慢な態度。この先に「球団記録」を越える「連敗」が待っている怖ろしさ。球団は批判されれば済むが、政治はこの国という船を沈ませやしまいか。「ファン」が厳しい「批判的」な視線を向けられない組織が、頽廃するのは必然であろう。

今こそが「過渡期」なのだ
野球の真髄を観るなら今や「広島カープ」
幕末がそうであったように、大きな地殻変動は地方から始まる。

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