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意味は声が創るー「音読」と内言を重ねること

2017-06-05
心の内なる対話
自らの内なる他者
「音読」を意識化すること

一昨日は歌会前の午前中、県内のある高校で課外授業を担当した。そこである試みをするために、地元放送局のアナウンサーの方も招聘し、特別講師を務めていただいた。「ある試み」とは、高校生の「黙読」のあり方にイノベーションを起こすというもの。高校生の読解力の基本として、「黙読」のあり方に問題があるのではないか、という仮説を活動的に確かめて改革できないかと考えたことが発端である。その前提として「黙読」であっても内言としての声が心内に聴こえ、そこから意味を咀嚼する働きが生じると考えられるからである。また「読む」場合に限らず、今この小欄の文章を綴る僕自身のう内には、まさにこの文章が「声」となって、この「文字」と重なりながら「聴こえて」いる。たぶん同様に今現在、この文章をお読みいただいているあなたの心の内には、この「文字」が「声」となって意味を咀嚼している筈である。要は文章の意味は「声が創る」ということになる。

教材はまず小学校1年・4年・6年の説明文教材。「文字」テキストは提供せずに、アナウンサーの方に「伝える読み方」をしていただき、聴解した内容について4人一組で対話の時間を持ち、その内容を捉えて、全体に発表し共有する。事前にこれは「記憶のテストではない」ことを念を押して伝えておく。教材の段階が上がるごとに、聊か「聴き方」の要点を変えて、タイトルのキーワードに注目して聴くとか、序論と結論を音声で伝えてその内容に即した自己の体験を挙げていく活動を実施した。こうした段階を追うことで、高校生も参観した指導者も様々な弱点に気づく契機となっているようであった。最後に中学3年教材を使用し、アナウンサーの「伝え読み」を聴きながら自らも「文字テキスト」を読むという重ね読みを体験して、自らの「黙読」のあり方を自己検証してもらった。途中、教材の内容として「テレビの伝え方」があったことで、アナウンサーの方から放送現場に即した興味深い体験談も聞けて、メディア講座としても有効な内容となった。もとより「自分」というメディアの使い方を工夫することで、「黙読」たる内言は豊かになる筈なのである。

具体例は崇高ではなく日常的でよい
他者に説明できる情報にするための構造化
小中学校で出来上がってしまった固定観念を超えるために
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