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共感・納得から協働・批評へ

2017-06-03
「共感・納得」できればいいのか
他者と「協働」して意見を持つ
自らを起ち上げて「批評」するということ

〈教室〉では「賛同」を求められる場合が多いように、現場の授業を参観すると考えさせられる。子どもたちが発表をして「みなさん、どうですか?」と級友に問いかけると、「同じです」や「わかりました」とほぼ横並びに反応する学級の雰囲気をよく目にする。その「全体」の雰囲気に呑み込まれて、もしかすると「ちがいます」や「わかりません」と思っている子どもがいるかもしれない。指導者は、「同じ」よりも「違う」と思った個別な意見を尊重すべきであろう。こうした場で「違う」と言える子どもを「異質」であるとか「変」だとは見られないようにすることが、教育の上では実に重要であるように思うのである。

「共感・納得」というのは、ある意味で「幻想」であるのではないか?実情は「共感・納得した気になっている」だけなのではないか?3.11以後、よく「共感などあり得ない」という被災者の方々の感情が問題提起されたが、こうしたケースではそう簡単に「当事者の気持ち」になることは難しいはずだ。だが巷間では、「共感」の強要とも思えるような雰囲気が生じてしまうのは、こうした〈教室〉での雰囲気と連動しているように思える。「批判」的な言動は、往々にして控えるべきとされてしまうのだが、果たしてそれで正常な社会が保てるのか?自らの経験を起ち上げて、しっかりと眼前の事態を「批評」する。その均衡の感覚こそを、〈教室〉では醸成したいものである。

「違う」「変」だという批評を恐れること勿れ
一人ひとりがこのくにの、そして地球の「市民」である
すべてはまず〈教室〉から思いも新たに・・・

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