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主体性を持つということ

2017-05-25
車内に流れる好きな音楽
運転中に思わず歌詞を解釈してしまうとき
なぜに涙が流れることがあるのだろう

最近は、連ドラ「ひよっこ」のテーマ曲「若い広場」を聞かないと朝が始まらない。やむなく早く家を出なければならない折は、昼休みに一旦は家に帰ることさえある。この桑田さんの曲に限らず朝ドラのテーマ曲というのは、身体に記憶として刻まれやすい。何しろ毎朝、定時になると必ずお茶の間に嫌でも流れてしまう効果は大きい。だが、そのように身体に刻まれている場合、その歌詞の内容までを咀嚼し吟味しているわけではない。ただ曲調に乗ってメロディを中心に、せいぜいサビのフレーズぐらいが脳裏で再現可能な範囲であろう。歌詞のある音楽には、確実に「聞き流す」ことと、「内容を咀嚼し吟味する」という、大きく分けて2通りの「聞き方・聴き方」があるように思われる。

車を運転する車内では、常に桑田佳祐さんかサザンの曲が流れるようになっている。新旧様々なアルバムを選択し、その時の気分に合わせた曲が流れる。たいていは「聞き流す」ことが中心であるが、次第に「あるフレーズ」に導かれて自ら「歌い出す」ことも多い。するとその曲の歌詞の「物語」が様々な形で頭を擡げてくる。第三者的にその「物語」世界を想像している間はよいのだが、ついつい自分自身の経験と重ね合わせたりすると時折、限りなくせつない気分になってしまい涙腺が緩むこともある。その想像そのものが「心の琴線」に触れてしまえばもうダメで、一旦はコンビニなどに車を停車してしばらく「物語」世界に浸ることもある。これもまあ、都会にないあくせくしない地方の日常ならではなのかもしれない。話は迂遠したが、こうして「自らを立ち上げる」ことが、まさに「主体性」ということなのだろう。

「主体性」をもった学びとはいかなるものか?
教材や活動の中に「自らが立ち上がる」ということ
他者と対話して自らを再生拡充していく創造的な営み。

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