宮崎大学短歌会ー題詠「道」

2017-05-17
「過ちは永久にこれを放棄する
 誓ひてもなほ右折する道」
 さまざまな「道」を発見できた歌会

5月第2回目の宮崎大学短歌会例会を開催。今回は題詠で実施しようということになりお題は「道」、さまざまな表情の「道」の歌が出揃った。冒頭に掲げたのは愚詠で、やや観念的・抽象的な歌であるが、今この時にこそ学生たちと考えてみたい社会詠であると考えて、敢えて出詠したものである。初句「過ち」は、即座に「戦争の過ち」であると解釈された。それは特に「ヒロシマ」の平和公園の慰霊碑に刻まれた言葉が連想される、という意見が傾聴に値した。続く「永久にこれを放棄する」はもちろん、憲法9条の文言そのものである。この「誓ひ」によって、72年という間、少なくとも「平和」が護られて来たのである。この9条を2020年までには「改正」するということが、明言されたのは記憶に新しい。

まさに今「平和」とは何かが問われているのだろう。「新たな脅威」だと隣国を位置づけ、目には目をの対応を拙速に進めれば、決して引き返せない位置に、知らぬうちに至っているかもしれない。既に「避難訓練」であるとか、警報により交通機関が停止したりする事態が国内で起きていることそのものを憂える。だが、その「脅威」と位置づけた国のみが絶対的な「悪」なのであろうか?歴史的に見ればそのような戦争状態を「世界」が作り出し、同じ国を二分し対立する構図を解消できずにいる。そのこれ以上ない「不幸」を、「対話」の力で解決に導く「平和」理念こそが「9条」ではないのだろうか。被爆経験をはじめ凄惨な「過ち」を経験した者たちとして、果たして「圧力」をかけることだけが「解決」の手段なのだろうか。拉致問題もそうであるが、「制裁」のみを手段とするならば、教育でいえば「体罰」を強いているのと違わず、いつまでも根本的な解決にはならない。だからこそ「誓ひ」を持つ我々の存在をもっと見つめて行動すべきではないだろうか。ひとたび「右折する」と、もう元の「道」には戻れなくなる恐ろしさがある。

雨の道・人生の道・わかれ道
いや「道などあるか」と学生たちの「道」は豊かだ
短歌のことばを信じ続ける活動を地道に続けたいものである。
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