椎葉村が語りかけるものーその3
2017-05-15
いま此処にいる幸福時流を感知せず自らを生きる
地方のなかの地方でこそわかったこと
宮崎に赴任した頃、よく地元の方と話をすると「なぜ(東京出身なのに)宮崎に来てしまったのですか?」と言われることが多かった。その物言いがたいていは「来てしまった」である。「よく宮崎に来ましたね」という歓迎の意も心の内にはあるのだろうが、どちらかというと悲観的な受け止め方であることが多いのである。それに対して小生は、「いや!宮崎はとても良いところではないですか」と言って、具体的な素晴らしさを挙げ連ねていくことになる。その「素晴らしいところ」そのものが、都会から来た者としての傲慢な主観であるのか?確かに、都会と同じ土俵で比較すれば、交通の便も買い物事情も芸術展覧・公演場所なども含めて不便であることは否めない。だがしかし、問題は都会と「同じ土俵」に乗る必要性があるのか?という疑問である。この縦長な島国において、あらゆる場所が高速化した交通機関で接続され、「東京化」することが果たして幸福なことなのだろうか、とも考えてしまう。
椎葉村で何人かの方々と話したが、その誰しもが「此処」に誇りを持って生きているように思われた。仕事の上での異動がある方などは、敢えてこの交通が隔絶された村を希望して赴任しているという話も聞いた。学校の中でも、村の内でも、たいていは此処に住んでいる人同士が顔見知りである。標高がそれなりに高く渓谷の急斜面を切り開いた土地での生活は、決して容易ではない。冬は凍結や雪にも覆われ、台風が来れば崖崩れや土石流などの危険と背中合わせである。嫌が上にも生活そのものに、命を賭さなければならない過酷さがある。だが、それだけに村の人々は「自然」に対して親和性が強く、個々の現象を「神」であると崇めるがゆえに、生きることに謙虚であり得る。元来はこうして人と人とが、肩寄せ合って繋がることで「生活」が成り立っていた筈である。このように考えてくると、むしろ都会は「生活」するところではない、とさえ思えてくる。「此処」に住む素晴らしさ、不便を利点とする発想の生き方があってもよいのではないだろうか。
小国寡民・現代の「桃源郷」
椎葉村の語りかけることに耳を傾けての気づき
五輪へ向けて尚一層、東京は住むべき「此処」ではなくなるであろう。
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