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「不器用」の変える豊かな社会を

2017-04-28
「器用な人は集団に合わせる。
 不器用な人は自分が腑に落ちることしかしない。
 結果的にそういう人が世界を変えていくんだ、と。」
(出口治明『「ゼロになる40代」から、「何でもできる50歳」へ』より)

1日1頁の広い書き込みスペースがある『ほぼ日手帳』を使用し始めて、数えるに既に9年となった。自宅書斎の書棚には、過去9年間の言動が並べられて保存されているようなものである。その毎日の各頁の下欄には、何らかの惹きつけられることばが記されている。時にあらためて読んでみて考えさせられることも多く、こうして小欄の話題に困った折などには、問題提起としても利用することができてありがたい。ちょうど昨日の手帳頁に、冒頭に引用したようなことばが記されていた。「器用な人」というのは、「どんな会社なのかがすぐにわかっちゃう」から、「自分を合わせ」てしまい、「会社は何も変わらない」のだと云う。

「不器用な人」こそ、実は豊かな世界に生きているのかもしれない。「どうしていいかわからない」ゆえに「自分がいいと思うこと」をしていく。ジムのストレッチルームで、ある方と会話をした。「経済」や「金」だけに価値を置く教育ばかりをしているこの国は間違いではないか、と彼はかなり真摯に語ってくれた。例えば、医師は果たして、患者の立場で診療をしてくれているのだろうか?などとも。結局は、「器用」で「金」を稼ぐことができて「経済」の波に乗れる人物になりなさいと「教育制度」では教えていると云うのだ。そんな「器用な人」は、社会に対して自ずと服従的であり、自分からその「波」に合わせてしまう。「器用な人」が有能だと思わされて従属的であることは、腹黒い為政者の思う壺なのかもしれない。

「情に棹させば流される」と漱石『草枕』冒頭
決して世間は「器用」ばかりがいいわけではない
粋で優しい馬鹿でいたいものである。
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