成長が見える歓び

2017-04-21
大学での4年間
社会へ向けての成長のとき
4年生の落ち着きにその証が見える

「教員」にとって、教え子の成長ほど歓びを感じるものはない。現職教員時代は、中高一貫校に勤務していたので、中学校1年生から高校3年生まで関わると、誠に天と地の差があるほど子どもが大人になる。それは身体的にも大きな変化があるとともに、その顔つきに表現された心の成長も甚だしいからだろう。中高の場合は特に思春期を経過するゆえ、様々な悩み苦しみを共有することもある。それだけに高校3年を卒業する際の感慨は一入となる。ところで、大学の場合はどうだろう?4年間を通して関わる場合もなくはないが、ゼミは3年生からの2年間、授業もせいぜい年間前期後期とセットになっていたり、国語専攻の場合は複数学年に及び専門科目での付き合いという程度なので、通常は中高ほど成長が見える機会も少ないかもしれない。元来、学生たれば自主を尊重することもあり、個々の判断に委ねている点も中高と相違がある。

ところが昨年度から教育実習を担当するようになって以来、個々の学生の成長がより見えるようになってきた。この日も附属小学校で4年生の公立校実習前の説明会が行われたが、そこにやってきた学生たちが妙に大人に見えた。大半の学生たちは、昨年度は前期後期の30回の講義を通して、様々な活動をともにしてきたので馴染みが深い。2月の講義以来久しぶりであることが、そう思わせるのか、否、実際に彼らは何らかの内面的な成長があって、それが表面に顕在化しているのであろう。考えてみれば、この学生たちも1年後は現場の教壇に立っているのだ。スーツ姿も板につき、キリッとした表情に教員採用試験に邁進する彼らの信念を見たような気がした。ちょうど昨年のまだ暑い9月半ば、彼らは附属小学校での3週間に及ぶ辛く苦しい実習を終えた。その最終日に僕が贈った牧水の歌が「眼をあげよもの思うなかれ秋ぞ立ついざみづからを新しくせよ」であった。この日は挨拶でこの歌を覚えているかと反芻し、あれ以来、どれほど「眼をあげ」て、「みづからを新しく」してきたかを問うた。もちろん、彼らの多くがこの意が通じたような表情をしていた。

実習という体験が確実に学生を成長させる
それを信じて彼ら個々に託していく
大学専任教員としての本当の歓びに、また一歩近づけた気がした。

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