都会暮らしと地方生活ー朝ドラ「ひよっこ」の設定に思う
2017-04-16
NHK朝ドラ「ひよっこ」昭和39年東京五輪の年の奥茨城と東京
都会「暮らし」地方「生活」
新年度の朝ドラが始まって2週間、珍しく最初からその内容を日々追いかけている。まだまだあくまで序章のような内容ながら、既に何度か心に響く場面があった。たぶん、一般的にはそれほど感銘を受ける場面ではないのだろうが、そこに「自己」を起ち上げて解釈すると涙腺が緩む結果に至っている。昭和39年の奥茨城と東京、稲作農家の主人が東京で単身、五輪へ向けた建築などの出稼ぎで家計を支えている。生まれ育った郷の土の香りを愛して農耕生活に従事したい地方生活に反して、物騒で一極集中のインフラ整備が急速に進む東京がある。稲作や夫人の内職のみでは生計が立てられない地方生活の状況が浮き彫りにされつつ、「幸福」とは何かというテーマが貫かれているようだ。50年以上前のこの国の問題であるが、それはまさしく「現在」もまったく変わらない課題である。この国の政治・社会は、この個々の幸福に関わる大きな問題を、長きにわたり放置してきたことがわかる。
出稼ぎの主人が、東京で出会う洋食屋。丁寧な手作り感ある調理によって出される料理の美味さに主人は感激し、郷の家族らにも食べさせたいと感激する。その様子を見ていた店の女将が、カツサンドを土産に持たせるという場面があった。1軒の街の洋食屋さんが、個々のお客の「今」に最大限寄り添う姿として描かれていた。嘗て「昭和」には東京でも、このような人情ある個人店がたくさん存在していた。国が「経済的地位」のみを指標に躍起になって「経済」を回し、「都市」=「幸福」という幻想を生み出し続けてきた。生まれも育ちも東京下町の小生であるが、そんな「経済」の空吹かしの中、より「人情」ある店舗や人との付き合いを選択して生きてきたような気がする。そしてこの4年間、初めて「地方生活」を始めた。其処には嘗て東京で小生が探し続けていた「幸福」があることを実感している。3年後には、また五輪が開催されることになっている。きっとまた東京は撹拌され、「生活」する場からはかけ離れた場所へ向かってしまうのではと懸念する。まさに日々を「暮らす」痛々しいまでに形式的な倨傲の集積が其処にあるような気がしてならない。
いい加減に「経済的地位」だけの「幸福感」から脱するべき
少子高齢化で一極集中都市はどうなって行くのか?
現在の僕には、料理屋さんも産直市場もパン屋さんも笑顔で出迎えてくれる「生活」がある。
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