濫觴さまざま辿りて今に
2017-04-15
觴(さかずき)を濫(うか)べるほどの細流長江も源流に遡ればそこから始まる
「細い流れ、流れの起源、転じて、物事の始まり。起源。起こり。もと。」
(『日本国語大辞典第二版』から)
漢語の持つ意味含有量は甚だ大きい。冒頭に記した「濫觴」なども「孔子家語ー三恕」に見える用例として、「孔子が子路を戒めたことば」と『日国』にある。故事成語のように、何らかの逸話・物語があって、そこで生じた含蓄ある「意味」を含み込んで二字や四字の熟語として通行する語彙となる。「矛盾」や「蛇足」というのもこれで、中学校教科書などでその原典を訓読した形で学ぶことが多い。こうした漢語を駆使するには、やはり漢文の素養が必要で、明治時代の漱石や鷗外などの文豪たちが漢籍の教養に長けており、漢詩なども創作していたのは周知のことである。中学校や高等学校の「国語」において「漢文」を学ぶのも、こうして日本語の基盤に「漢文脈」が存在するからであって、それを意識した「国語」学習をすることに考えが及ばない指導者も少なからず存在する。
一方で「和歌・短歌」は、明らかに「和文脈」を意識し発展・継承されてきた日本語表現ジャンルということになるだろう。江戸の漢学隆盛を受けて、明治の西洋文化の急速な流入。そんな社会・文化的背景の中で、西洋語の翻訳にも多く漢語が使用された。その上で平易でわかりやすい日本語表現を目指すならば、やはり「和語」が重要だということになろう。若山牧水の場合、その短歌表現は、「和語率」が高いことが既に「牧水研究会」の諸氏の評論で指摘されている。元来小生は、古代和歌に関する「漢文脈」から「和文脈」への様々な影響関係を研究テーマとしているだけに、こうした明治の短歌創作語彙の問題も実に興味深い。などと、ある方の歌集を読んでいて「濫觴」のタイトルがあったゆえ「漢籍の教養が高い」ことが窺い知れた。豊かな日常言語生活を考えるにも、「漢語」と「和語」の問題は決して無視できないのである。
「東アジア」の観点で日本語を考えること
短歌創作をするときの語彙選択を何如せむ
兵器による愚かな諍いではなく、言語的姉妹関係をもって対話を醸成するのが叡智であろう。
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