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対面式ライブ授業の未来を考える

2017-04-14
20年後に無くなる職業
多くの「仕事」が機械化されてしまう
まさかの「教師」さえも・・・

スーパーやコンビニのレジでは既に「セルフ」の機械が設定されているところがある。商品につけられたバーコードを自らセンサーに当てて読み込み、支払いも「電子マネー」などで済ませればお釣りの心配も無用。ガソリンスタンドも「セルフ」は一般的となり、やはり支払いも「カード登録」された電子媒体である。居酒屋などでも注文は机上にあるタブレットのような画面から可能なところもあり、ファーストフード的なシステムの中で「人」を必要としない電子システムの開発が進行する。こうした流れは今まで以上に加速し、20年後に無くなると予想されている職業は多い。まさか「教師」は違うまいと思いがちであるが、その「予想」の信憑性はともかく「小学校教師」などは「無くなる」中に位置づけられている。仮に「大学教員」を考えた時にも、一斉講義式で一方的に喋るだけのものであれば、プレゼンテーションソフトをプログラムして時間設定をして多彩な資料に動画映像や音声を駆使すれば、「人」よりも優れた「講義」が学生に提供できる可能性がある。今年度の初講義にあたり、将来教師を目指す学生たちに「対面式」授業の意味を問い掛けてみた。

Web配信型講義は、実際に本年度後期から僕自身も製作し担当することになっている。だが15回のうち6回分は、集中講義で「対面型」の設定をしている。他の9回分で学び得たことを、受講者全員が一堂に会し、対話をして他者との違いを知る機会を持つのである。「セルフ」化されると、人と人とのコミュニケーションが希薄になる必然がある。例えばスマホの普及で、簡単に距離を超えてSNSやメール等のやりとりができるようになった。チャット式の伝達ならば「リアルタイムで行われる対話」のようであり、「会話のようなコニュニケーション」を取ることができる。だがそれは果たして、対面式の「会話」と同等のコニュニケーションなのかと疑問に思うこともある。「声」ならぬ「文字」のみのやりとりは、次第に物質的なものと向き合うのみの感覚となり、「生身の人間」と「会話」しているとは思えなくなる。たぶんその文脈は、対面式の会話とは違ったものになってしまうだろう。

昨日の小欄で紹介した俵万智さんの「牧水の恋」を読むと、恋人に会えない牧水が「寂しさ」をいかに自らの中で沈着させ消化し、また先へと歩もうとしたことが知られる。恋人・家族や親友同士でも、限られた書簡・葉書のみで心を交わしていた時代があった。牧水の名歌などは、その過程の中で紡ぎ出されているとすると、あまりに過剰で安易な「文字」のやりとりが、人間の生きる速度を超えてしまい、短歌に表出するような豊かな感性を破壊する可能性すらあるのではないかと懸念するのである。短歌を例に述べたが、「対面式授業」もこうした観点で将来にわたって必要不可欠なものと考えたい。

生身の人と人が向き合うということ
機械や人工知能に支配されない境目を見極めること
ライブ性の中で相互の身体で表現し理解し合うということ
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