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未来をひらく国語教育と短歌

2017-04-12
「変化・変容に応じて自己を形成・拡充する内なる力。
 外なる他者と関わり、認識・思考の活動を通して主体を形成し、
 自己にとっての新しい価値を生み出していくことばの力を育てること。」
(『月刊国語教育研究』2017年4月号 巻頭言 田近洵一氏より)

今年度初のゼミでは「未来をひらく国語教育」と題して、冒頭に引いた田近氏の文章や、同誌に「問題提起」とされた今村久二氏の文章を読んでの対話活動を実施した。田近氏の文章の結びには、「自らのことばの可能性をひらいていくところに、ことばを自分のものにする言語学習は成立する。即ち、未来をひらく教育は、ことばの生きる現場を自ら体験することを通して、主体の言語学習力を高めるところにこそ、その可能性を見出すことができるのではないだろうか。」とされている。続く今村氏の問題提起では、「子供たちの五五%は将来、今は存在していない職業に就く」「仕事の自動化」や「人工知能が人類を超える」といった「予測できない」社会の大きな変革を見据えて、「自分がどのように生きるかを問い続け、行動しようとする主体」を期する教育実践が必要ではないかと提言されている。

こうした「未来志向」の「国語単元学習」における今村氏の具体的な提言として「通時的な言語の志向を未来に開く」として次のような指摘が記されている。「古典を初め、継承し、享受したい言語文化を、解釈・理解にとどめ、単なる遺産におとしめている。現在の生活、未来への展望を志向する場を模索したい。」ここでは、これまでの「古典」などにおいて、学習者主体な授業が為されておらず、「瑣末な言語事項」を押し付けて「訳するだけ」で、「自己形成・拡充」を志向するものにはなり得ていないことを云っている。往往にして現場で高校生などは、「現在使用しなくなった言葉をなぜ学ぶのか?」と疑問を抱き「古典」を嫌悪する場合が多い。「遺産におとしめている」と指摘されているが、どうやら短歌界では、「短歌は(文化的)遺産として申請はしない」という方向性を佐佐木幸綱先生などが打ち出しているようだ。それは、今回の「国語教育」に関する提言と軌を一にするもので、「短歌」は常に創作主体の「現在の生活」に根ざし、「未来への展望」という視点を持ち得るということだろう。昨夏の「牧水短歌甲子園」に於いても、優勝校の代表生徒のスピーチに「短歌を詠めば、現在・過去・未来は変えられる」と云った趣旨の内容に、心が熱くなったのが思い出される。

「未来をひらく国語教育」に於いて
「短歌」は誠に格好の教材であるということになる
あとはそのことに学校現場が気づくよう努力しなければならないのであるが。
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