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「三上」で参りましょう

2017-04-02
「余、平生文章を作る所、多くは三上に在り。
 乃ち馬上、枕上、厠上なり。」
(欧陽脩「帰田録」より)

今年度は土日から始まる。来週からは入学式・オリエンテーションと一気に大学も動き出す。休日とはいえ、在校生への教育実習オリエンテーションの準備で半日は研究室へ籠った。事務的な作業を進めるのと、研究をする批評的な思考と、はてまた創作をするときの自由な発想とは、それなりのチャンネル切り替えが必要だと思う。それぞれを行う時間と場所にも左右されるので、一日の中での設定も大切である。大学受験の頃からそうだが、学びや作業というのは、その内容に適した効率よい環境と適合させることで、自分の力を最大限に発揮することができるものだと思っている。採用試験などの学習に取り組む学生たちによく、「生活を変えろ」と言うようにしている。「学習」を「生活」に取り込むのではなく、「生活」の一部に「学習」を位置づけるということ。教員採用試験などでの一次通過は、このような意味で「本気」になるや否やというだけのことであろうと思う。

冒頭に掲げたのは著名な中国・宋代の文学者・欧陽脩の至言である。文章を練るにあたり好都合なのが、「三上」であると云うのだ。「机上」とはかけ離れて、いずれも「生活」の一部に格好の場所は用意されているということになろう。ここで云う「文章を作る」は、決して「事務」ではなく、「研究」かむしろ「創作」寄りのことだと考えたい。三つのうち、特に「馬上」は現代では一般的でなくなってしまった。代替物として車があるではないかと言うかもしれないが、どうも「機械の運転」となると安全性を第一として、また違った神経を使っているので、少なくとも僕は「文章」には向かない。「馬上」には適度な揺れとともに自己の身体性への強烈な自覚があるはずだ。現在、この「馬上」に一番近いと思っているのが「水上」である。プールで泳いでいると特に「創作」の思考が激しく刺激されるのだ。「散歩」にも似て妙な思考回路が起動してくるのである。もちろん、現代でも「枕上」は健在である。寝込もうとして衝動に駆られて、メモ書きに起き上がることもある。だが「厠上」に関しては、あまりにも現代の朝は忙しすぎるのかもしれない。

学部の恩師はいつ論文を書いているのかと不思議だった
忙しいゆえの研究・読書・創作
教員採用試験も二次となれば「人間」を磨いておく必要があることを念頭に・・・
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