わがほどのちひさきもののかなしみのー牧水の孤独
2017-03-31
「わがほどのちひさきもののかなしみの消えむともせず天地にあり」(若山牧水『独り歌へる』より)
「天地(あめつち)」とは「根源的な宇宙の母胎」
次年度後期よりWeb上で受講できる(登録した学生のみログイン)配信講義「みやざきCOC+」を担当する。本学の基礎教育科目として、また宮崎県の他大学の学生たちも受講でき、「地(知)の拠点づくり」を意図した企画である。その配信講義製作のための、PCソフトの扱い方の説明を受けた。音声・文字・動画を駆使して、通常の大学講義のように1コマ90分を構成する。以前に地元宮崎放送のラジオ番組に出演したこともあるので、試験的に吹き込んだ音声に対して、担当者の方も概ねOKを出してくれて、今後の製作が楽しみになった。もちろん内容は「短歌県みやざき」に関するものである。前半5コマは、若山牧水の短歌と宮崎との関連についての内容。こうした意味でも、牧水の歌をテーマ別に読み選歌しておく必要性がある。小欄を活用して、その覚書を記しておこうと思う。
冒頭の掲出歌は、根源的な人の「かなしみ」を詠ったもの。伊藤一彦氏『あくがれゆく牧水 青春と故郷の歌』(鉱脈社2001)に指摘されているが、菱川善夫によればこの「天地(あめつち)」の語は「根源的な宇宙の母胎」を表すのだという。その前提として牧水生家のある地域の風習として、生まれるといったんは路傍に捨てられたという体験から「捨子意識(孤児意識)」があり、それが著名な「白鳥は哀しからずや・・・」の歌などに反映されているという菱川の考え方が紹介されている。牧水のような体験を経ずとも、人はみな「孤独」な存在である。哲学的な物言いでは、「独りで生まれ一人で逝く」宿命があると云う。それゆえに「生」を受けている間にこそ、「他者との愛情」にこだわり実感して存在していくものであろう。牧水青春の歌には恋した小枝子への熱い愛情が詠われるものも多いが、それはまさに「孤独」の裏返しといえよう。人は「独り」で生まれて、初めて「母の愛情」に触れる。自らを育む「母胎」への意識。「孤独」ゆえに歌を詠むのだとすれば、その根源に「母」に対するテーマが必ず存在しているともいえよう。我々は例外なく「愛情」を求めるのは、そういうことかもしれない。
両親の結婚記念日ゆえ母へ電話
僕自身の「根源」が起動した大切な日付
「生きる」とは「愛する」ことを実感しながら
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