自分の時計は持っているか

2017-03-30
他者の時計では時間は無為に過ぎていく
だが、自分の時計を持てば満足な経過を
時間に支配されるか時間を我が物にするか

ある知人のFBに冒頭のようなことが記されていた。毎度、ご本人はご多忙にもかかわらず、たいそうな読書家で常に多分野の書籍を読んでいる。現在は城山三郎『よみがえる力は どこに』であり、その中から「時間」について一部の引用があった。「自分だけの時計を持て」誠に至言であり、即座に意識したいものだと思いここに覚書としておく。時間を意識できない、意識しない時がある。「時間」に追われていると前向きな意味で時間を意識できず、ふと我に返れば「こんなに時間が経過していた」と気づき、次なる焦燥感に駆られるような状況となる。だが行なっていることに集中するあまり、時間を意識しないでいると、我に返った時に穏やかな気持ちでいられる。「自分だけの時計」が起動しているというのは、後者のような状況であろう。

ジムでヨガのレッスンを受けていると、誠に「そこだけの時間」に居るような気持ちになる。というよりは、「其処」にある時間さえも忘れているといった方が適切かもしれない。薄暗い中、レッスンの最初に行なう軽い瞑想で、明らかに「人為的時間」が消去され、気づいた時には60分が終了しているといった感覚である。その間の呼吸への意識をはじめとして、自らを内観し身体を動かすことで、心の在処を落ち着かせるような所業である。生活の中でも、このヨガ終了時と同じような感覚に至ることがある。朝のルーティンをこなしている間は、ほぼ物理的な時計を見ずとも「今の時刻」が身体的に分かる。「時計」というものが刻むのはあくまで「物理」であり、実質的な「時間」というものは、心のうちにあるものだ。自らが「生きている」ゆえに、これだけ「時計の針」が進んだというだけである。

現代人の時間意識
有限かつ無限な不可逆的存在
短歌は「時間の錘(おもり)」だと、永田紅という歌人が云った。
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