2人分の人生
2010-06-22
21日(月)職場で仕事中、向かいの席でPCのキーボードを叩く音が。しかもEnterキーを、最後に妙に強く叩く音が聞こえてきた。一瞬、ここまで強く叩かなくてもいいのにという思いを持ちながら、ある人のことが急に脳裏に浮かんできた。それは12年前にこの世を去った、大学の先輩のことである。
大学在学時代から、その先輩が先に就職すると、職場までよく押し掛けた。ほぼ仕事が終わりかけた時分、旅行会社の窓口業務で先輩が、PCを使って検索作業などをしていると、Enterキーを妙に強く叩くのが印象的だった。先輩が、旅行会社勤務ということもあって、様々な旅行を依頼し旅にも出た。中には話している内に煮詰まって、その先輩と2人で北海道1周の旅に出たこともあった。大学在学は、入れ替わりであり一緒に過ごした期間はない。しかし、妙にウマがあった。これ以上の親友はいないのではないかと言うぐらいの付き合いであった。
その先輩は、12年前の5月、突如としてこの世から姿を消した。考えてみれば、今年が13回忌となる。だが、原因不明の死であったこともあって、その後、先輩の家族とも連絡が途絶え、供養する機会さえない。毎年、5月になると先輩の顔が脳裏に浮かぶ。仲間内で、先輩と最後に会っているのが、紛れもなく自分であった。その時、大学院修士に在籍し、野望を持って前進していた自分は、先輩に対して「研究発表をして成果があった」とか「雑誌論文を書いている」とか自慢げに語ったのを記憶している。
しかし、先輩が話したかったのは、そんな事ではないだろう。人生の岐路に立たされて、ただただ前向きに邁進できる者と、表面上は強そうに見えても心が折れそうな者もいるということだ。あのとき、もっと「自分が辛くて仕方ない」とか「仕事と大学院の両立が厳しい」とか、「周囲が研究に理解がない」とか語っていればよかった。長年の親友にこそ、自分の弱さをさらけ出すべきであった。そうすれば、きっと先輩も自分の辛さを、話してくれたのかもしれない。
周囲の人に対して人一倍面倒見のよい先輩であった。ゆえに自分が辛くなったとき、それをさらけ出せなかった。年齢の壁を越えずに先輩はこの世を去った。
ゆえに、小生はそれ以来2人分の人生を生きようと思っている。強く生きることも然り、弱い自分をさらけ出すことも然り。一定の型にはまり込むことなく、自分が生きたいように、雄大に自由に自分らしく。そして人に優しく。
自分が頑張っていることがあると、ついつい自慢げに他人に伝えてしまうのは、誰しもあることだ。しかし、自分が頑張っていることこそ謙虚に捉えていくことが、一流への道でもあり、他人に受け入れてもらうための窓口でもある。新たにそんな気持ちを再確認する必要もあるみたいだ。
このブログ上に蘇った先輩は、自分の中には永遠に生きている。墓参などしなくとも、この世で一番、思いを寄せていると自負できる。それでこそ、いつでも辛いときは先輩が支えてくれるはずだから。
重荷という意味ではなく、心に生きる先輩と共に、2人分の人生を、いくら充実させても充実し過ぎることはない。
21日はやはり毎月、何かに助けられる日でもある。
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