われ春風に身をなして
2017-03-28
「願はくはわれ春風に身をなして憂ある人の門をとはばや」(佐々木信綱の歌から)
短歌によって憂をはらすということ
ゼミの卒業生に、毎年一冊の本を贈っている。例年は谷川俊太郎さんの詩集を贈っていたが、今年は伊藤一彦先生の『短歌のこころ 実作と鑑賞』(鉱脈社2004)とした。表紙がハードカバーであることが選択の条件でもあり、めくった厚紙の余白頁に「祝御卒業」とともに格言と署名を記している。教員となるゼミ生たちが何年経っても、ゼミでの学びを忘れずにいて欲しいと願うゆえである。伊藤先生の当該書籍「第二部 短歌を読むー鑑賞へのいざない」冒頭に、書名とされた「短歌のこころ」の項目がある。「私たちは、なぜ歌を詠むのか。」という自問自答で始まり、「ともあれ、作歌を持続してみること」の重要性が述べられている。作歌の「意味は?」「自分の才能は?」と考えているよりも、まずは「歌を創り続けること」そのものに大きな意義があるということであろう。考えれば考えるほど、人は物事に躊躇しがちであるが、「まずはやってみなければわからない」のが人生である。「やろうかどうしようか」と迷ったら、明らかに「やる」選択が人生を豊かにするはずである。
小欄冒頭に記した信綱の歌は前掲頁に引用されたもので、「春風に身をなして」を自らの願いとして、「憂ある人の門」を訪ねて、作歌を「熱心にすすめた」ということである。同頁には信綱の「歌のこころ」が引用されているので、小欄でも覚書として紹介しておこう。「歌は美の宗教である。歌によって、人のこころは清められ、高められ、深められ、又、やはらげられ、慰められ、はげまされ、歌をとほして、人は永久の生命にかよふことが出来る」とある。まさに信綱のこうした歌から、我々は「永久の生命」を感得することができるのである。「憂をはらす」のみならず、「清められ、高められ、深められ」とあるのは、昨日小欄に記した横綱稀勢の里の姿勢にも通ずる。ただ「相撲」をすればよいのではなく、自らを「清められ」る姿をファンの前に示してくれたからである。生きていれば必ず憂がないわけはない、だがしかし「歌」として「ことば」にすることで、僕たちは「現在も過去も未来も」変えることができるのである。卒業生たちにもぜひ、こころ豊かな教員生活を送ってもらいたいと、僕も「春風に身をなして」願うのである。
今年はなかなか暖かくならない
卒業生たちも新天地へ準備を進めていることだろう
「こころ」は「春風」ながら、「身体」は研究室の資料整理に徹した1日。
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