人生で種を蒔く時期
2017-03-19
無条件に笑い合える友だちそして思春期の成長を見守ってくれた恩師
その時期に蒔かれた種から芽が出て花が咲く
中学校時代の担任の先生を囲み、大変親しかった友だちたちとささやかな同窓会を開いた。長年、年賀状のやり取りだけで連絡だけは保たれていたが、ことしはぜひ「同窓会」を実現しようと自ら音頭をとった。教育関係を研究し教員養成に携わる身として、自らの「中学校時代」が如何なるものであったかという問題意識を、相対化する必要性も感じたゆえでもある。だが、実際に会ってみると、そんな堅苦しい意識は遠方に去ってしまい、ただただ楽しい時間が穏やかに流れた。話す口調は当時のものに戻り、友だちの笑顔は昔のままであった。現在の職業や生活環境を超えて、ただただ会って楽しい仲間と恩師。それこそが「中学校時代」なのではないかとあらためて思った。恩師は「あの頃」を「牧歌的だった」と振り返った。
食事をする前に、今は無くなってしまった当時の校舎が建つ敷地を散策した。今や附属の大学が「新凱旋門」にも似た、シンボル的な校舎を建築した場所となってしまっていた。あのあたりが中1で入学した時の教室、あそこが校庭、体育館はこちらにあった、などと語り合いながら、ある角度から表通りを見ると、変わらないあの日の街の表情が蘇る。ともかくあの頃は学校へ行くのが無条件で楽しかった。朝早くから登校し、校庭で野球やアメフトをして遊ぶのが常だった。一泊旅行や修学旅行では、今回会った友だちといつも部屋割りで同室になった。深夜に及ぶか徹夜も辞さないで語り合った時間。そしてまた「文学」を深く愛した恩師の様々な言動が、僕らに発芽すべき種を蒔いていたのだと、あらためて確認できた。ふたたび「教員養成」という観点から聊か述べるならば、「教師は生き方を見せる」べきではないかと恩師と僕自身の関係から痛感した。
また元気でこの地で会おう
今回来られなかった北海道の親友とともに
かけがえのない恩師と友だちと永遠なれ
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