誤魔化し笑いにご用心

2017-03-15
何か指摘をすると「笑い」で応える
若者の特に女子に見られる傾向
だが似たようなことが国会の場でもあるような・・・

10年近く前からこの現象に気づいている。小欄を遡って検索すれば、確か同様のことを記した記憶がある。まだ現職教員として教育実習生を担当した時、授業や学級活動に関しての指摘をすると、その実習生は必ず最初に「笑い」で受け止める傾向があった。本人は至って悪気はない。良い点でも悪い点でも、指摘をするこちら側の言葉にまずは「小さな笑い」を出して、そこから話し始めるのである。少なくとも教育実習とは真剣勝負であるはずで、次第にすべての反応に添えられる「マクラ」としての「笑い」に抵抗を覚えるようになった。指摘によって行動が改善されればまだしも、改善の兆候が見えないとやはり、この「小さな笑い」によって指摘内容の受け入れを拒否するかのように思えて来たのである。こうした傾向が、実習生のみならず巷間の店員などにも見られ、その行為がどこか自分を護ために「本気にはならないでください」といった”バリア”を醸し出す行為なのではと捉えて今に至る。この傾向は、今も学生の一部に見受けられる。

笑い声は出さないまでも、国会の様子を報道するニュースで似たような「笑顔」を最近よく目にする。投げかけられた質問に対して、答弁する立場にある輩たちが「薄ら笑い」を浮かべている。質問・答弁の詳細を確認したわけではないが、相手の質問が「お門違い」であるという前提をつくるための”記号”として映る。それが作為的なのか無意識なのかは、如何様にも判断できない。自らの埒内の感覚からすると、「笑ってしまう」ほどの質問だということなのか。いつぞやは、ある質問者が「笑っている場合じゃないですよ」と迫る場面も観た。その一方で「笑い」一つ浮かべずにただ淡々とした仮面を被った表情で、意味不明の言語を繰り返す答弁者もいる。私たちの税金は、このような「議論」の場を設定するために費やされている。「笑い」がすべて「悪」だと言っている訳ではない。コミュニケーションの具として、大変有用で効果的な「表現」方法である。だからこそ「笑い」にも、様々な”記号”が埋め込まれていることに、我々は自覚的になる必要がある。

「指摘」に正対するや否や
自覚なき不埒な笑いにご用心
これは「笑えない」学校空間の環境と、何らかの関連があるのかもしれない。
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