逆スーパーマン眼鏡
2010-06-20
19日(土)スーツ姿に眼鏡の貧弱なサラリーマンが、いざ眼鏡を横に投げ捨て、スーツを脱ぎ捨てると、逞しい身体と胸に「S」の文字が輝くスーパーマンとなって大空を飛び、困った人々を助けに行く。周知のように映画「スーパーマン」の「変身」場面である。他にも、似たような「変身」をするヒーローものは、日米を問わず制作されてきたように思う。いずれも普段は、あまり冴えない平凡な人間が、超越的な力を発揮するという意味で共通点があるといってよい。
眼鏡というものは、顔にアクセントを与える。それは、その奥底に「心」を表象する「眼」が存在するからだろう。写真の顔を分からなくするには、よく眼に横長の黒塗りが施されるのも、眼にこそその人の特徴が現れるからに他ならない。その肝要な「眼」に掛けるものというのは、そこに何らかの大きな変化を読み取る上で、ポイントとなる道具になる。眼鏡とは何とも気になる道具だ。
この数ヶ月、乱視傾向もあって眼鏡を使用している。しかし、仕事上は殆ど支障がないので、あまり使用する気にはなれない。それは仕事の支障という以上に、眼鏡を掛けた新たで知的な顔を、職場に曝したくないという思いがあるのに気付いた。では眼鏡を使用するのはいつか、自己が本望と考えている場面で主に眼鏡を使用するようにしている。そんなことに、この日気付いた。
午後、研究のための学会に出向く。やはり発表者の顔がよく見えるようにという思いもあり、大学に到着前の最寄り駅から眼鏡を着用。土曜日の午後に、大学で学術的な成果に耳を傾けるのは、何とも心地がよいものだ。帰りがけに、顔を知ってくれている大学の先生が、「また研究発表をしてください、お願いします」と声を掛けてくれた。こんな一言が、今はとても新鮮で貴重に聞こえる。「目を掛けて」くれるというのは、実にありがたいことだ。
夕刻より、かねてから約束していた妹弟と馴染みの小料理屋へ。この機会も本望であるから、眼鏡を着用していた。乱視のことに言及すると、どうやらPCの置く位置が重要らしい。座った位置から横にずれて画面があると、片目の視力が低下すると妹の弁。確かに、食卓の右側にPCを置いて、Web電話やメールを使用していた覚えがある。乱視傾向は、これで進行したといえるかもしれない。
W杯の日本対オランダが、店の映像の悪いTVで映し出されているがあまり気にもならない。むしろ3人で、様々な話に興じられたことが、精神的に自分を救い出されたような気分となり、大変よい時間が過ごせた。
収入の為に仕事に身を委ねる自分と、本望を叶え自分の特長を活かせる理想像とのギャップを、常に感じながら生活している自己を、妹弟との会話の中で発見する。その境界線で、「逆スーパーマン」よろしく、本望と意識している場所に至るとき「眼鏡」が装着される。精神のスイッチが入り、気分的にも前向きになれる。そんな効用を「眼鏡」に委ねているのだ。
「眼鏡」は「知的」の象徴でもあると自覚する
そのイメージを、自己の精神衛生にフル動員している
「逆スーパーマン」となった自己ができる力を発揮して
自己の研究で困っている人々を助けられたら、この上ない生き方である
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