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「自分からしか見えない景色」を尊重するために

2017-03-09
「この地球の中で、その瞬間に占有していて、同じ時間、同じ空間に
 ふたりの人間が存在することはできません。つまり、その瞬間、
 そこから見えている景色はあなただけのものだということです。」
(宮崎日日新聞2017年3月6日「客論」欄・永山智行氏の文章より)

WBC日本代表は、第2戦対オーストラリアも4対1で勝利した。TVの実況アナが語る言葉の中に「チーム一丸となって」とか「選手が心を一つにして」といった類の成句をよく耳にする。これは野球の試合に限らず、他のチーム競技でも同様であり、また6年前の震災後などにも同様の言葉がよく喧伝された。「一つになる」という類の言葉に、ある種特異な反応を覚えるのがこの国の民であると、その都度考えさせられる。もちろん「野球チーム」の成員が個々に勝手な行動をしていては、「チーム」として成り立たないのは自明である。だが少なくとも「日本代表」というその道の最高峰の集団であればむしろ、「個々の選手からしか見えない景色」が集合し錯綜し化学反応し合うことで、「今まで決して見えなかった景色が見える場所」まで、登ることができるのではないかと思うことがある。現に06年09年WBCでのイチローの存在は、そうした典型的な「個」の存在であったのだと僕は確信している。ここ2大会の「侍」と呼ばれる「日本代表」に、何かが足りないと感じるのは、こうした光り輝く「個」が見えないからではないだろうか。

冒頭に引用した文章の書き手である永山氏とは、先月も日向市の小学校で演劇ワークショップをともにした。彼のワークショップはまさに、子どもたちの「個」からしか見えない景色を尊重する内容であった。永山氏は劇団を主宰する演出家であるが、「苦手な相手」は「『わかりました。がんばります。』という従順な俳優」であると云う。それを受けて「従順で何かに従おうとする人は、『正しいと思われる誰か』の視点にがんばって合わせることで、自分からしか見えなかったはずの景色を捨て、結果的に、多様な視点が社会に生まれる機会を棄損していくのです。」(前掲「客論」より)とも書いている。さらには「そんな従順な人の多くが、真面目ないい人で、会社の方針、マニュアル、権力者、そして空気、そんなものに黙って従うことに罪が含まれているとはまったく感じないままでいるということです。」とも云う。そう、「従順」なことは「罪」なのである。こうした意味で僕も、ゼミ生たちには特に「自分の意見を言う」ことを強く求めている。彼ら個々が「自分からしか見えない景色」に学生時代に少しでも気づき、その「個」をもった教員になってもらいたいと願うのである。「従順な教員」こそが、いつしか取り返しのつかない「罪」を蔓延させていくことを恐れるがゆえである。

「わからなくとも、がんばらなくてもいいから」(永山氏前掲記事より)
高度経済成長期、昭和のONのように野球は社会を映す鏡でもある
僕がMLB「BaseBall」に魅力を感じる理由をあらためて認識している。
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