「花ももみぢもなかりけり」否定の強調手法ー第309回「心の花」宮崎歌会

2017-03-06
「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」
(藤原定家『新古今和歌集』より)
永田和宏氏の云う「見せ消ち」の手法

第309回心の花宮崎歌会は、午後からやや冷たい雨の降る日曜日夜の開催であった。38首提出された詠草のうち、欠席者を除き無記名で各歌が批評されていく。冒頭には会員から名歌鑑賞があり、この日は山崎方代の「こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり」「一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております」などが取り上げられた。詠草の批評には様々な「読み」が会員から出され、最後はほとんどの歌を伊藤一彦先生が批評をされていく。すべての歌に対しての批評が終わると、伊藤先生撰「今日の5首」が発表される。この日はだいぶ久しぶりにこの「5首」に僕の歌が選ばれ、誠に光栄の至りであった。結社誌『心の花』にも投歌しているゆえに小欄での掲出はしばらく控えるが、大学教員として「卒論」に対する自己の「想い」を語り出した歌である。また当の卒論を書き上げたゼミ生1名が詠草を出しており、歌会には欠席であったが、その歌と読み合わせると「卒論」の「現在・過去」が見えてくるようなことも、懇親会ではみなさんにお伝えしてご意見を伺うことができた。

さて、この日の歌会で話題となった興味ある点を覚書としておきたい。短歌には比喩として「・・・ごとし」という形式は非常に多く見られるが、あまりにも常套句になってしまい良い歌にはならない場合が多いと伊藤先生の指摘があった。むしろ「・・・ならず」といった否定的な表現を採ることで、読み手に訴える表現になると云うのである。ちょうどこの週末に宮崎を訪れていたという、世界的細胞生物学者で歌人の永田和宏氏の著書『人生の節目で読んで欲しい短歌』(NHK新書2015)には、これを「見せ消ち」の手法(P51)であると述べられていることを思い出した。冒頭に記した定家の著名な「三夕の歌」がまさにその好例で、「花ももみぢもなかりけり」と詠うことによって、むしろ「花」も「もみぢ」が「読者の心に強く焼きつけられる。」という塚本邦雄の発言によって永田氏が言及した部分である。そして永田氏はこの手法を「政治家が言葉を軽く使って、あるいはみんなから反発されるような過激な言葉を敢えて使って、糾弾されればすぐに撤回する。」と指摘している。まさに僕たちが「今」見ている政治状況というのは、まったくこの通りではないかとあらためて納得したのであった。メディアが「否定的」に取り上げている映像が繰り返し繰り返し流されることによって、その法外な時代錯誤的教育が顕然として存在することをむしろ強調してしまっている。また周知のように、米国大統領もまさにこうした「手法」で、あの座に君臨しているようなものであろう。やはり「ことば」は、社会をも動かす大きな力を持つものなのである。

真っ当な視点では良い歌はできないと伊藤先生
僕らは市民として「ことば」ができることを諦めてはなるまい
否定の強調手法は、定家ならずも美しさを描出することに使うのが人間の叡智であろう。
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