ことばによって創られる時間

2017-02-28
過去も未来も現在も
ことばによって創られる
「時間の錘(おもり)」をつけるために

歌人・永田紅が「時間の錘」ということを言い出したと云う。こうしている「現在」も「時間」は絶えず流れ去り「現在」は順次「過去」になっていっている。どんなに足掻いても、その「流れ」は決して止めることはできない。こうした文章も「現在」が創り出す「過去」であり、その過程においては常に「未来」が志向されているともいえよう。その止めようのない「時間」に「錘」をつけるのが「短歌」だと云うこと。そして「短歌」が「人生」を映し出すというのは、「現在」の「私」を形成しているはずの「過去」を、ことばによって切り取り保存することで、「未来」においてももう一度認識することを可能にするからだ。もとより「現在・過去・未来」などという「時間」があるのではなく、それを形成する「ことば」があるのだ、と言っても過言ではない理論さえある。

「現在」は決して断ち切れることなく「過去」に根ざし、そして「未来」そのものとして現前に示されていく。となれば「現在・過去・未来」は個々に作用し存在するのではなく、一体化した得体の知れない「時間」という概念だともいえるであろう。その「現在・過去・未来」が妙に一体感を持って思考の中で融け合う時間がある。それは僕にとって「泳いでいる時」である。水中での感覚そのものが「非現実的」でもあり、簡易に「重力」からも解放される。最初の10分ほどはまだ「現在」を引きずっているのだが、次第に身体がプールの水に馴染み始めると、ことばにできない「幸福感」を覚え出す。すると思考の舞台上で、様々な「現在・過去・未来」が演じ手となって躍動し始めて、それを自然と「ことば」で切り取りたくなってくる。その間、身体は常に自由形(クロール)の動きを続けている。あるい意味で、その身体性が「現在」に「錘」をつけて、勝手に先に進まないように引き止めるべく足掻いているのかもしれない。そんな作用に身を浸しながら、昨晩も45分間という「現在」を水中で過ごし一首の短歌ができた。

「ことば」そのものが「過去」
しかし「過去」は確実に「未来」を創る
「現在」の己を捕捉するために大切なこと。
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