海そのままに日は行かずー牧水と小枝子

2017-02-26
「ああ接吻(くちづけ)海そのままに日は行かず鳥翔(ま)ひながら死(う)せ果てよいま」
(若山牧水『海の声』より)
牧水若き日の恋歌

先週、延岡の城山公園にほど近い内藤記念館で開催されている特別展「牧水の生涯」を観た。多くの書簡・色紙・歌幅などで牧水の肉筆を読み、あらためてその歌の声が胸のうちに蘇るような思いになった。延岡は牧水の第二の故郷ともいえる地で、11歳で東郷町から延岡尋常高等小学校に入学するために出てきて19歳で延岡中学校を卒業し早稲田大学へ進学するまでの8年間を過ごしている。「なつかしき城山の鐘鳴りいでぬをさなかりし日聞きしごとくに」の歌は有名で、その後の牧水が延岡に帰った際に、この8年間で染み付いた街の風土を懐かしむ歌である。その城山公園の鐘撞堂まで登り、今も延岡の街に時を告げる「午後3時」の鐘を間近に聞き牧水の郷愁に寄り添ってみた。さて展示の筆跡を追うのも楽しかったが、かなり印象的に胸に迫ってきたのが、牧水が若き日に恋した園田小枝子さんの写真であった。以前にも牧水記念館や書籍で眼にしたことはあったが、妻となった喜志子さんの写真などと並べられている小枝子さんの肖像には、強烈な妖艶さを感じてしまったのだ。

冒頭に掲げた一首は、牧水が小枝子さんとともに千葉県根本海岸に滞在した際のもの。永田和宏著『人生の節目で読んでほしい短歌』(NHK出版新書2015)にも「恋の時間」に採られている。初句字余り「ああ接吻」の衝撃的な詠み始め、この二人の絶頂の時間だけがこの世界を支配しており、「日」も「そのまま」に止まり、「鳥」も翔びながら「死せ果てよ」といい、まさに二人の「いま」だけが永遠たれと詠むのである。牧水歌の主題として「自然」は重要だが、それをすべて超越して小枝子さんとの「いま」の「接吻」だけが光り輝く歌に仕上がっている。ある意味で、牧水でなければ詠めない歌ともいえるが、第一歌集にこうした情熱的な恋愛を題材にした歌があるのも貴重である。前述した永田氏も著書の中で述べるが、「若い人たちが短歌を知り、興味を持って、そんな時期だけの〈時間〉を大切に詠ってほしいものだと思わずにはいられません。」と述べている。そう、熱い恋愛感情は「若き日」にしか詠めないのである。などと考えて、あらためて小枝子さんの肖像写真を見て、どうやらその写真に「恋」をしてしまいそうな感覚になった。されば、牧水の歌を「人」の観点から読み直してみようなどと考え始めている。

今しかない〈時間〉
それを歌にしてことばとして刻み付けておくこと
〈時間〉はことばの力で止めることができるのだ、と知った。
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