小学校での古典授業を考える
2017-02-23
小学校6年生を対象に『徒然草』の授業を参観
附属小中学校共同研究にて
毎月1回実施している附属校との共同研究の年度最終回。今回は、中学校教員が小学校6年生を対象に古典教材『徒然草』を使用する乗り入れ授業であった。中学校への興味・関心を高め、教員がその雰囲気を聊か伝えるという目的もある。3名の担当教員が、6年生3クラスで同じ指導案による授業を展開する。学習目標は「昔の人が書いた作品の内容をもとに、言葉の意味やリズムを考えながら、すらすら読めるようになろう。」というもの。教材としては『徒然草』第百九段「高名の木登り」が使用された。現行指導要領から小学校教科書にも古典教材が掲載されることになったが、出版社によってはこの百九段を載せている教科書もある。場面が一箇所でわかりやすく「教訓的」な内容を含むあたりが、「小学生向け」にされている理由ということになろう。
小学校に、いわば”前倒し”された古典教育をどうするかという課題は、実に重要であると考えられる。中高の国語学習で「嫌悪感」を抱く学習内容の上位に位置するのが「古典」である。担当する大学講義の学生たちにアンケートを実施すると、その結果は判然としている。それゆえに小学校でいかに楽しみ親しみを覚えるかが重要であり、「古典を好きに」なる要素を提供しておく必要があるのではないかと思われる。この日の授業では、現代語訳を使用し音読においてその意味を対照させながら、言葉の切れ目や文体の特徴を感覚的に掴んで音読に活かしていく流れの学習活動が展開した。前述した「学習目標」に示された「リズム」という語彙も、聊か曲者である。「正しく」音読に導く過程には、やはり小学生なら「難しい」と感じてしまうことも少なくない。果たして「正しく」と「すらすら」は同じか違うか?仮名遣いや単語のつながりなどにおいて、あくまで感覚的に親しませるという点で、実は小学校古典の授業は難しい。まあ聊か「難しい」「わからない」と思った点に、好奇心の芽生えを見出すのが、学習の課題発見であるとも考えられようか。
「主体的な学び」にするためには
英語もまさに「前倒し」で教科化される
「古典嫌い」の思いが伸長しただけなら、小学校で学ぶ意義を失う。
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