心のふるさとへいつでも
2017-02-19
赴任して丸四年が間近入学した学生が卒業する
研究室の追い出しコンパの感慨深し
この3月の卒業生で三代目となる研究室の追い出しコンパが催された。言い換えれば、僕の赴任と同時に入学した学生たちが卒業することになる。僕自身が右も左もわからずに、国語教育講座の学生たちの前で自己紹介したあの頃が既に懐かしい。その当時の記憶を掘り返しながら、追いコンの席上で様々に話していると、学生たちはその表情一つとっても実に成長したものだと感心してくる。3年生から研究室所属となるが、最初に僕が施しているのは自己アピールのスピーチ。教育実習でも採用試験でも、「自己」を印象付けるスピーチは大きな意味を持つと考えて、1分半のスピーチを撮影したり録音したりして、本人たちに自己を客観視したレポートを課す。そこで己を知ろうとしてから2年ほど。メッセージ色紙に卒業生がそんなことも記入していて、あらためて僕自身の指導法を顧みつつ、「成長」という感慨に耽る。
この4年間で、研究室での発表討議方法もだいぶ変わった。全体で1名が発表する形式から、全体を三分割した小グループで複数人が複数回発表し、学年を超えて忌憚のない意見が対話的に出し合える雰囲気作りを心掛けた。ゼミでは全員が学び手であり、指導教授の意見だけを聞く場では決してないと考えるゆえである。学生からいただいた色紙には、「学生の立場を考えて」という趣旨の感謝の言葉に表れていたように思う。また、歌人・俳優・音楽家・落語家など諸方面の方々との「人の縁」への謝辞もあり、あらためて「人と出逢いの場を創る」ことの意義も確認できた。概ね18歳から22歳という時期には、何より人としての成長も重要な課題だと自らを顧みて痛感する。それゆえに、単に卒論に向けた研究指導のみならず、多様な体験をする機会を提供することが実に大切であると思う。特に「教師」を目指すならば尚更、「社会性」の視点を持った「経験」が不可欠であると考えている。さて追いコンの終末にあたり、卒業する学生たちから「また帰ってきます」といった趣旨の言葉が聞かれた。これぞまさしく「教師冥利に尽きる」以外の言葉は見当たらなかった。
ゼミ(ドイツ語由来)の語源はラテン語の「苗床」
現場ですくすくと実り育って欲しい
そしてこの研究室がいつでも、心のふるさととして温かくありたい。
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