自分の言葉に/嘘はなけれど

2017-02-17
就寝時の読書の罠
電灯もエアコンもつけたまま
「電気を大切にね」とデン子ちゃんの声が・・・

「デン子になってしまった」と、宮崎の友人に言っても通じなかったのを覚えている。嘗て東京では「無駄に電気を使用すること」という意味の俗語として、友人間では通用していた。かの電気会社のCMで「デン子ちゃん」なるキャラクターが設定され、節電を喧伝していたことに拠るものだ。その一例として「電灯をつけたまま寝てしまう」というケースが無駄遣いの典型的なものとして掲げられていた。6年前の東日本大震災以来、僕は特に家中の家電における節電に意識を高めていた。使用しない家電品のコンセントを抜いておくことや無駄な照明の消灯に関しては、ほぼ習慣化して、実際に電気代はかなり安価に収まっている。公共の場所でも、エレベーターやエスカレーターは極力使わず自らの足を使う。電気を使って不健康になりたくない、というある種特異な信念も持っている。このあたりは聊かこの国の電力業界への批判が、為さしめていることでもある。

最近は睡眠を大切にしているので、とりわけ熟睡を導く寝方にはこだわっている。室温と湿度の設定や健康枕の購入など一定の投資をして、掛布団の枚数などとともに照明の具合は重要だ。小欄で複数回触れたように、ここのところ石川啄木の歌に入れ込んでいるので、文庫を一冊寝床に持ち込むことで至福の時間となる。その啄木歌を、声になるかならないかの「低唱微吟」で読むのが心地よい。一昨日は自宅至近の公共温泉に行って、身体が温まったまま早々に寝床に入った。だがいつしか啄木の歌を読んでいるうちに寝入ってしまった。夜中の三時ごろに気づいたが、照明もエアコンも付いたまま。おまけにエアコンを消すと、一定の時間を稼働させたのちの「おそうじ」機能が起動し始め、しばらくはその音に寝入ることができなくなった。明るさの中での睡眠ほど、質が低いものはない。朝の寝覚めも最悪で、結局は1日の予定が大幅に狂ってしまった。だがしかし、なぜか脳裏には啄木の次の歌が響き渡っていたのだ。さて、この記憶をいかに活かそうか・・・

「新しき明日の来るを信ずといふ
 自分の言葉に
 嘘はなけれど」(『悲しき玩具』より)

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