「主体的、対話的で深い学び」新学習指導要領改訂案に思う
2017-02-16
「アクティブ・ラーニング」の語は使用せず「主体的、対話的で深い学び」という概念で示す
現行の「言語活動」の提示から何が変わるのか・・・
新学習指導要領改訂案が示された。小学校高学年における英語の教科化によって、これまでの「外国語活動」で「話す・聞く」が中心であった内容から、「書く・読む」の領域までを小学校から学ぶことになる。中高の外国語学習内容が「書く・読む」に偏り過ぎてきた反省から、「話す・聞く」領域を増やして来た経緯からすると、果たして小学校学習と中学校学習との連携が上手くいくや否やといった懸念も先立つ。また「中学校」の授業も原則「英語で実施」(現行では「高等学校」)とされるようだが、いずれも「前倒し」傾向を翳して、日本の外国語学習は大きく改善されるのだろうかと、分野は違えど言語系を考える一人として懸念も少なくない。さて、「国語」に限らないのだが、従前から今回の改訂の目玉は「アクティブ・ラーニング」であるという情報が巷間には流布していた。現に国語教育系の研究学会では、既に議論する機会が何度もあった。だが、示された改訂案にこの”魔法”のような文言はなく、「主体的、対話的で深い学び」と示されることがわかった。
元来、「アクティブ・ラーニング」は2012年中教審答申の「大学教育改革」に関する内容に示されたものであろう。「一方的な講義形式」ではなく「学修者の能動的な参加を取り入れた教授、学習法の総称」と定義されている。現実に学内でもこうした講義形式への移行を促す施策が進行し、図書館内のラーニング・コモンズ設置などを中心に、学習場所も講義形式に適うような整備が進められている。「学校」と名の付くうちで、唯一「学習指導要領」もなく教員免許も不要な大学の教授法というのは、実は大きな死角になっているのではないかとかねてから考えていた。自らの学部時代を考えても、学ぶ側として脳内がまったく起動せず活性化しない講義は山ほどあった。その一方で、触発され人生の方向まで左右される名講義もあった。その当時から先生によっては「主体的、対話的で深い学び」を実行していた方々がいらっしゃったということである。そして今、少なくとも我々・教育学部の教員たるや、この「手本」を示す義務があるのではないかと思う。「主体的、対話的で深い学び」は、毎回の授業レビューや期末レポートなど、学生の思考が表現されたものを読めばその深度は判断することができる。僕の場合は、講義を始め様々な場所で、「アクティブ・ラーニング」という”黒船”のような英語は嫌いなのでと冗談交じりに「能動的活動型発見学習」という呼称を提言していた。それにしても”黒船”といえば、「鎖国」という語が「社会科」の学習から消えるというのも、何かぼんやりした不安を覚えるのは僕だけだろうか。
あくまで「脳内アクティブ」なのである
もう既に机椅子の固定した講義室だけでは
まずは教員が個々の「主体的」な学生たちに「対話的」に関わり「深度」を相互に発見すること
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