自分の頭で考えるということ
2017-02-09
自ら「問い」を持ち自ら向き合っていく
卒論は人生の歩き方の基礎にもなる
先月末日に提出締切であった「卒論」の口述試問が始まった。個々の学生が自ら発見した課題に取り組み、その「問い」を解決すべく様々な参考文献にあたり、自分なりの見解を導き出す。定まった方法が用意されているわけではなく、まさに自分の頭で考え自分の判断で調べ自分の言葉で分析し表現するという行為である。昨今はこの「卒論」や「修論」を課さないという学部・大学院もあるやに聞くが、学部の性質を問わず一定な分量の「論」を自ら創り上げる意義は、何にも代え難く大きいものと考えたい。僕自身は今でも卒論に苦闘した時のことを鮮明に覚えており、口述試問で指導教授が指摘したことを克明に記憶している。よってその内容や過程が、その後の様々な思考上の歩みにおける基準にもなっているように思う。
自分の頭で考えて自分の言葉で書くということは、明らかにその人物の思考の傾向が顕わになる。いやむしろその「自らの思考の傾向」を知るために書いている、といっても過言ではない。何をどこまで深く考察できるか?個々のことばの意味に対して明確な定義を持っているか?参考文献の考え方に対して批評的に分析できているか?等々といったことは、社会の現場で自らの行動に反映されていく。参考にすべき人物の言動は、何がどのように優れているのか?そんな問いを立てて、意識して分析する力が、最終的には自らの身を護ることに連なるであろう。深い思考なきことが、どれほどに無防備なことか。健康に対する思考一つにしても、安易な食生活をしていては自らの身体を壊すことに至るであろう。昨今の傾向として、食事にしても料理をせず所謂”コンビニ飯”に頼ってしまうことは、自ら「思考しない」のと酷似しているように思われる。
日常から批評的・分析的思考を持つべき
意識して自らの頭で考えないと危うい世の中になってしまった
世情そのものが自分の頭で考えなくてよい方向に誘導するだけに、なおさらである。
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