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第21回若山牧水賞授賞式ー「短歌の主題」講演

2017-02-08
現代の危機に対応しようとする切実な姿勢
自然を仲間として詠む
日本文化のみやびー歌のリアリティー

第21回若山牧水賞授賞式に出席した。今年の受賞者は吉川宏志さんで、21回の歴史の中で初の宮崎県出身者。県をあげて全国的にも評価されている文学賞を、本県出身者が手にしたという喜びいっぱいに会場は包まれた。しかも吉川さんの出身地は牧水生家近くの東郷町、また僕自身も共同研究を実施している学部附属中学校の卒業生とあって、なお一層親しみが湧いた。授賞式・祝賀会・二次会を通して、吉川さん御自身とも様々なお話ができ、また選考委員の先生方が講評等で語る吉川さんの歌から、あらためて多くを学ぶことができた。

「うちがわを向きて燃えいる火とおもう ろうそくの火は闇に立ちおり」
(以下、吉川さんの歌は受賞歌集『鳥の見しもの』より)

「内側も深く掘る。そしてまた外にも闊達に行く。」(佐佐木幸綱先生評)

「吉野山の深さは花の深さにてあゆめどもあゆめども襞の中なり」

「吉野山とは?西行とは?繊細でありながら大きいものにつながっていく。」
(馬場あき子先生評)

「白菊の咲く路地をゆく傘ふたつ高低変えてすれちがいたり」

「歌にリアリティーがある。理屈ではない日本文化のみやび。」(高野公彦先生評)


授賞式に続き、佐佐木幸綱先生による「短歌の主題」と題する記念講演が行われた。
以下、その講演趣旨を覚書にする。

江戸時代までの歌は多くが「題詠」であったが、その後明治30年頃までは正岡子規などにより「日記」のように日常のありのままを歌にした。だが明治30年から40年にかけて、牧水や啄木など自然主義の若者たちが、自分のテーマは自分で決めて歌を詠むという姿勢を持つことになる。こうした近代黎明期の短歌史の状況を受けて、短歌は今に繋がっている。私(幸綱先生ご自身)も、「梅」「動物」「お城」「父と息子」といった主題を意識して詠んで来た。中でも「父と息子」は大きな主題であり、ギリシア古典・オイディプス王から村上春樹の近現代文学に至るまで様々に描かれ、「天皇制」の問題もまた「父と息子」を主題としている。まさに人間存在そのものを考えるテーマということだろう。また河野裕子さんの歌は「蝉」が多く詠まれ、「命」を音の向こう側に幻視する趣がある。また牧水は「酒」を主題とする歌が367首だが、「旅」を主題とする歌が2280首と圧倒的に多い。山里を歩き集落を見つけては泊まり、植物の名前を徹底的に覚えるために苗屋さんや植木屋さんと親交を深める。また鳥に関しては見てもわかるし聴いてもわかるといった精通ぶり。固有名詞をきちんと覚え、細かいディテールにもこだわる姿勢があった。さらに「短歌は時間の断面を歌うのが王道」という佐藤佐太郎の言葉のように、なるべく短い時間を詠むのがよいとされた。だが啄木は「物語」を歌に持ち込み、なるべく長い時間を入れようとした。寺山修司というフィルターを通して啄木の歌を読むと、そんな深みを読み取ることができるだろう。こうして短歌の主題を考えるに、新たな牧水像も見えてくるはずである。
以上。


自らの主題を発見し追究するこころ
牧水と啄木についても深く考えたくなった
あらためて多くの歌人の方々と交流が深まる宮崎の夜であった。

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