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「学びに誘う」教材研究

2017-02-06
「学び続ける教師」という標語
指導技術のみならず、教材研究に目を開き
学習者を「学びに誘う」魅力を提示できること

教職大学院課題研究発表会に出席していて、「学び続ける教師」という標語について興味深い質疑応答に接した。教師は「指導技術」を「学び続ける」のみならず、常に深い教材研究を疎かにせず、学習者が学びたくなるような魅力を発見する授業とすべく「学び続ける」べきではないかという質問が発せられた。まさに最近の僕自身の考えにも類似しており、それを手帳にメモした。「授業」については往々にして「指導技術」を求める傾向が、昨今は増しているように思われる。だが料理を考えれば一目瞭然だが、どんなに調理方法が良くなっても、素材の質が高くそれを知って活かそうとしなければ、美味しい料理にはならない。ましてや、コンビニ飯やファースフード類が氾濫する世情では、「いつでも便利に」授業方法や技術のみを”手軽に”入手しようとする傾向が授業者側に生じているのかもしれない。また料理の嗜好が人それぞれであるように、「いま此処」にしかいない眼前の学習者に対応した”手作り”の味を提供しなければ、学び手も”安易”な発想にしか至らないのではないかと思う。

周知のことだが、「コミュニケーション」に対する考え方も時代とともに変遷してきた。「話し手」が上手く喋れば相手に伝わるという考え方は、遥か過去のものとなった。「卓球」のように双方向性のやりとりがあればよいというのも、既に時代遅れの感がある。双方が「伝え合い」「聞き合う」関係を成立させて「いま此処」の課題を見つけ、その「対話」の中から新たなる発見に心を揺さぶられるといった反応が、現在は求められている。その「発見」の喜びが、次なる学びも起動させていく。素材の奥行を知って活かす料理人と、天然か養殖かぐらいは見分けられる眼を持った食べ手の、創造的な出会いによって美食は成立するのと同様である。また同発表会の冒頭挨拶では、「研究は潜水である」という比喩が語られた。僕たち研究者は深い先の見えない海に潜り、その素材の真実を追究し続けなければならない。そしてまた常に新鮮な素材と向き合うのも、一つの使命であろう。そしてなによりも、「教師」が豊かな教材研究をするための「時間的余裕」こそが大切であると痛感する。日々仕事に追われ時間に余裕がなくなれば、必然的に”コンビニ”に頼った食生活のごとき「授業」になってしまうだろう。

「学び続ける」ことの本質
「潜水」と「浮上」を適切に往還できること
「手軽さ」の陰に潜む「危うさ」に常に自覚的でなくてはなるまい。

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