「正しさ」よりも「豊かさ」を大切に

2017-02-02
前後期30回講義の最終回
学生たちの群読発表会
そして贈る言葉として自然と出てきたこと

学部3年生の講義というのは実に重要であると思っている。本学教育学部では、3年生の9月に附属校での教育実習が3週間設定され、学生たちは初めて自ら子どもたちの前にひとりで教壇に立つ経験をする。その実習で「授業ができる」ようにするのが前期の「・・・教育研究」という講義科目であり、実習後に4年生前期に設定されている2週間の公立学校での応用実習に向けて、さらに視野を広げるのが後期の同科目の位置付けということになっている。学生たちの多くは、この2回の実習経験にて「教師志望」を固め、採用試験に向けての貴重な経験も積む。こうした意味でまさに机上の空論ではなく、実践的な講義内容が求められる。この日は、前後期30回の講義の最終回として、学生たち5名ずつの班によるリレー群読発表会を開催した。小学校定番教材である「くじらぐも」「ごんぎつね」「スイミー」「大造じいさんとガン」を全員による声のリレーで表現した。学生たちの多くはあらためて教材の奥行きに触れ、諸々と触発されるものがあったようである。

その後、全体への講評を語りながら、僕の口から自ずと出た言葉がある。「『正しさ』よりも『豊かさ』が大切である」ということであった。最後に僕自身へのメッセージを求めた授業レビューを読むと、多くの学生がこのことばに共感を示す内容を記していた。ある程度は考えていたことであるが、学生たちの群読を聴いてその表情や工夫や動作を観ていて、僕の感性はそのようなことばに自然と至ったようである。先日も地元劇団主宰者で演出家の永山智行さんと打ち合わせで話した際に、そんな趣旨の話題となった。「学校」では「正しさ」というものだけが尊ばれる。音読の読み方一つでも「正しく」が強調され、どこか日常と違った特異な「読み方」が強いられるごとき空気を醸成してしまう。それは文章を作成しても、読書感想文を書いても同じで、子どもたちの素顔はそこに反映されない。求められる「正しさ」に次第に子どもたちは嫌気がさし、「国語」そのものを忌避していく結果になる。だがしかし、少なくとも文学作品を読む上で必要なのは「正しさ」よりも「豊かさ」であろう。「正しさ」は相対的なものであり、時に邪悪で視野狭窄的になってもそれが「正しい」と強制されることを、僕たちは様々な歴史から知っている。そしてまた勘違いしないで欲しい、「豊かさ」とは「こころの豊かさ」のこと。県別の「幸福度」調査などが新聞紙上で記事になっていたが、宮崎県では宮崎県にしかない「豊かさ」を、子どもたちと共有できる教師を育てるべきではないかと思うのである。少なくとも僕の講義を受講した学生たちは、「豊かな」国語を次世代の子どもたちに伝えて欲しいと願いながら。

寄せられたメッセージは励みとなる
能動的活動型講義そのものへの感想も多く
4年間更新し続けて来た内容の現在形が「正しさよりも豊かさ」に表現されたのであろう。
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