「精進」のみー単純化の美徳

2017-01-27
第72代横綱稀勢の里
横綱昇進口上には「精進」
自分の気持ちに素直な単純化の美徳

遅咲きの横綱、などと世間で囁かれる稀勢の里関の昇進口上は「横綱の名に恥じぬよう精進いたします。」であった。過去の横綱の例を思い出すに、どんな四字熟語が入るのかなどと予想する向きもあったが、人柄ゆえか素朴な口上にむしろ好感が持たれたようだ。思い返して例を挙げるならば、「全身全霊」「精神一到」「堅忍不抜」「不惜身命」「不撓不屈」といった四字熟語が並べられている。だがそれらを聞くたびに、口上とはそういうものだと思いながらも、力士たちの日常言語からはかけ離れているという違和感を覚えた。それはまた、四字熟語が持つ一つの負の歴史を想起するからかもしれない。いずれにしても稀勢の里の口上は単純化したことで、自らの心を表現することに成功したといってよい。

友人の落語家・金原亭馬治さんの師匠である第11代金原亭馬生師匠が、読売新聞に稀勢の里の横綱昇進についてコメントしていた。その比喩に曰く「料理に例えて言えば、稀勢の里は絶品の日本料理。見た目がきれいで、香りもよろしい。そして、上品。」と讃えていた。師匠とは何度も高座を拝見しまた直接お話もしているが、この稀勢の里評はそのまま師匠の人柄にも喩えられる。日本舞踊などの芸道にも精進する、落語家としての矜持が常に垣間見える。西洋料理に比べて派手さはないが、細部にまで手の込んだ施しがあり品格が漂う。このなかなか言葉にできない「品格」という部分には、日常生活からこだわりを持ちたいと僕自身も常々思っている。「単純化」といえば「良い歌」もまたそうだと、角川『短歌』の新年号で永田和宏氏が書いているのを思い出した。「情報量」は「限りなくゼロに近い」歌であっても、「言葉が抱え込む世界は如何に広く、かつ奥行きをもつ」として、「単純化は作歌の第一歩である。」としている。写真映りのよいファミレスやファーストフード、いかにも便利なコンビニの食物類などには、この「品格」は微塵も見えない。化学調味料・保存料といった情報量を詰め込んで、直立しない歌かのようである。短歌のことばに繊細に向き合うとは、日本料理の味わいを楽しむことにも似ている。

ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり
永井陽子の歌より(永田和宏氏が前述の「単純化」の好例として挙げている)
まさに僕が今向きあっっている林檎印のパソコンも「単純化」の極みである。
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