アクティブラーニングと和歌・短歌

2017-01-22
「短歌を詠む 書く 歌う」
「ようこそ短歌道場へ」
お二人の短歌アクティブラーニング実践例

理事である和漢比較文学会東部例会も開催されたこの日、早稲田大学国語教育学会例会も開催され、選択に迷う事態であった。だが本年10月に勤務校を主催とする和歌文学会宮崎大会に向けて、大変重要な知見が得られる可能性があったので、後者に出席することにした。次期学習指導要領で中心的な改訂の要点となる「アクティブラーニング」、講義型授業から学習者の活動型授業へと転換を図るというのが大きな狙いである。例会では2本の実践例の御発表があったが、2本目の小塩卓哉氏は高等学校校長の要職にあり、また歌人としても歌を詠むという格好の実践者である。冒頭に掲げた「短歌道場へ」の実践例を紹介され、生徒たちが自作の短歌を批評し合って勝敗を決める形式は、宮崎で開催している「牧水短歌甲子園」に類似した実践であった。学習者は教材を「読む」だけではなく、「詠む」(創作する)ことで、他者への表現力や言語感覚を養うことができ、その意欲から発し教科書教材としての短歌の読みを深めることができるということになる。まさに「表現」を意識すれば「理解」へ回帰し円環的な学びが醸成できるということであろう。「短歌」そのものはまさにそのような活動型の学びの素材として、格好の詩歌なのであるということをあらためて確認できる内容であった。

1本目の兼築信行氏の御発表においては、和歌史の上での根本的理解、「古今集」仮名序の記述なども挙げながら、「和歌・短歌とは何か?」という問題意識を喚起する。漢詩に比べて実にコンパクトなサイズで持ち運びに便利(記憶しやすい)、また「土佐日記」に記されている「しゃべっていたら偶然にもそれが歌になった」といった口誦性を指摘する。恋の歌を中心に身近なコミュニケーションツールとして、1300年の歴史が継続して来たわけであろう。「出題→詠草→加点・添削→懐紙・短冊→披講」といった和歌の題詠プロセスを活動し、歌合の形式で批評し合う実践の紹介があった。総じて、和歌の長きに渡る歴史の上で、「和歌・短歌」を学ぶには如何にしても「詠む」という活動が不可欠であったことがわかる。こうした意味でも近現代の国語教育が、どれほど「読む」こと(理解)のみに偏向してきたかを考える契機にもなった。こうした内容を受けて僕は、小塩氏に質問をしたのだが、大学入試対策に高等学校授業の目的が偏る中、さらには「短歌教材」の学習時間配当を考えた時、「アクティブラーニング」は如何に学習意識を変革する可能性があるか?と。より短歌の実用性を普及させ、高校生がその日常を素朴に歌にする機会を多く提供していく必要があるのではないか、といった対話を持つ機会となった。

小塩氏は指導教授を同じくする「古今集研究会」において
ほぼ大学入れ替わりという先輩後輩であった。
「和歌・短歌」を通じてやはり今も恩師は教え子を繋いでくれていると感謝。
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