困難から希望への道を

2017-01-19
教師への階梯を登るとき
必ず困難を越えていかねばならない
そこに初めて本当の希望が見える

新年になって早速、次年度の教育実習に関する実地指導の時間が設定された。附属小学校の担当教諭に大学にお出でいただき、実習の心構えを現2年生対象に講義していただいた。教育の諸問題に対応するために、世間では教員養成のあり方が問われている。また実際に就職したとしても、仕事に追われて休職を余儀なくされる人も多いという報道をよく目にする。「なぜ教師になりたいのか?」「なぜ教壇に立ちたいのか?」そして「教師冥利に尽きる」とはどういうことなのか?、学生時代から体験し心得ておく機会が必要であろう。それはどんなに困難に遭遇したとしても、ひとりのこどもの笑顔で救われるという「教師の希望」を知るということではないだろうか。

Web上で「初詣ベビーカー論争」に対する東浩紀氏の記事(AERA)を読んだ。日本人は「迷惑論」と「権利論」を混同して議論しているという指摘に目が止まった。欧米では他人が迷惑と感じようとも自らの権利を主張し実行するが、日本社会ではそこに「迷惑」を考慮すべきと考えるゆえに議論が空転するのだと云う。「ベビーカーの使用は当然の権利」、「権利かもしれないが迷惑」、「迷惑だと云う指摘こそ権利の抑圧」という構図があり、この論争以外でもよく見られると東氏は指摘している。もちろん教育実習をこの論争と混同するつもりは毛頭ないが、それが「権利」の主張になった時、むしろ自らの学びを阻害し自らの耐性を鍛える機会を失うことになりはしないか。一方で「迷惑」であるという観点で指導すれば、学ぶ者の主体性を奪いかねない。この日の実地指導担当の先生から僕自身が学んだことだが、児童生徒も当該校教員も、実習生も大学教員も、皆が協働で学びを創るのが、何より活動的な教育実習という実践なのではないだろうか。

困難を乗り越える力
机上の講義では成し得ないこと
そしてすべての人が教育とは何かを問い続けること。
関連記事
スポンサーサイト
tag :
コメント:












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック:
トラックバック URL:

http://inspire2011.blog.fc2.com/tb.php/2629-11d969df

<< topページへこのページの先頭へ >>