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読解力について考える 再び

2017-01-18
解釈し表現する力
人の心のうちに入り込むこと
紋切り型にはご用心!

小欄昨年12月27日付に「短歌県みやざきと読解力」という記事を書いた。その地元紙の「現論」記事をゼミで活用し「読解力」について考えるという内容の対話を持った。日常から「解釈」と「表現」の表裏一体性のことや、他者との対話的コミュニケーションについて考える機会が多い学生たちは、各自の卒論テーマとも何らかの点で通底しており、興味深く様々な論点で対話が進んだ。「わかりやすさ」に潜む文化的な頽廃、じっくり一冊の本や他者との会話に向き合い、時間をかけて思考を沈着させていくような穏やかな過程を忌避する若者たちが多い中で、こうして自らの主張を表現し、他者の思考を解釈する機会そのものが実に貴重である。「簡単にはわからない」ことに立ち向かうことこそ、アカデミックな場に来る意義ではないのだろうか。

「紋切り型」と訳される「ステレオタイプ」とは、通例次のような特徴があると『日本大百科全書』にある。(1)過度に単純化されていること。(2)不確かな情報や客観的根拠の薄弱な知識に基づき誇張され、しばしばゆがめられた粗略な一般化ないしカテゴリー化であること。(3)好悪、善悪、正邪、優劣などといった強力な感情を伴っていること。(4)人種差別や性差別といった偏見に転化しやすいこと。(5)偏見や誤認・誤解を生むが、同時に社会的に共有される感情・認知・思考・行動様式を型にはめることで社会の統合と安定にも寄与していること。(6)新たな証拠や経験に出会っても、容易に変容しにくいこと。などがあげられている。このような解説項目を閲覧するだけでも、現代社会が過剰な「紋切り型」に偏っていることに気づかされる。公共たるTV番組でさえ、前述の(1)〜(3)の傾向を色濃く帯びていて辟易することが多い。我々はもっと「わかりづらい」ことを受け止めて、他者に伝えるために混沌と悩み苦しむことが必要なのではないだろうか。

かけがえのない「個」を見つめること
真に平和で豊かな社会を求めるためにも
こうした思考の学生たちを教員に育てていかねばなるまい。
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