日本漢詩文の存在価値
2017-01-16
センター試験「国語」第4問日本漢詩文からの出題
せめて高校における学びの目標に
センター試験「国語」第4問は漢文分野の出題であるが、一昨日の試験では新井白石「白石先生遺文」が出典であった。所謂「日本漢詩文」が出たということの意味は大きい。現行指導要領から高等学校「古典(漢文)」分野には必ず「日本漢詩文」を学習するということになっている。それゆえに教科書編集の際にも、「日本漢詩文」の単元を設けている。だが多くの教科書でそれが最後に置かれているせいもあり、なかなか現場では授業で扱われないか、軽視されて簡単に済まされてしまうことが多いのが現状ではないだろうか。いっその事、多くの中国詩文の単元に同ジャンルのものは混在させ、比較しながら学習してはどうかなどと、僕なりに日本漢詩文の学習への工夫を考えたことがある。
奈良・平安朝以来、先進文化であった中国詩文から多くを学び、そして自国の文化構築の基盤としてきたという歴史的経緯を考えた時、日本漢詩文(日本人が書いた漢文)の存在価値こそ、「国語(古典分野)」で学ぶべきことだと思えてくる。今回の出典となった新井白石の活躍した江戸時代は、漢文や漢詩が実に豊富に創られた時代であった。その延長で明治時代の漱石・鴎外ら文豪たちも漢詩に心得があった。漱石が生命の危機に瀕した伊豆での闘病以後、大量の漢詩を制作していることは有名である。日本文化は、漢文なくしてここまで成長しなかったといっても過言ではない。高等学校では、ぜひその価値を理解して指導者も授業構成を考えて欲しい。哀しいかな、「入試」に出ないものは「要らない」と考える機械的な指導者も多い中で、せめてセンターが出典にすることで「日本漢詩文」学習を奨励するという事態を、現場への皮肉と捉えてその姿勢を再考して欲しいと思う。
漢文をなぜ学ぶのか
自らの言語文化の基盤であるから
「センター試験」のためだけではない、豊かに「文化」を語る授業をして欲しい。
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