酒なしにしてなにのたのしみ

2017-01-09
人の世に楽しみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ(牧水)
正月に新年会とくれば酒はつきもの
そしてまた、翌朝のさめたる折のむなしさはなし

一昨日の心の花宮崎歌会新年会から帰宅し、そのまま気持ちよく寝入った。だが夢心地というものは必ず覚めるもの。翌朝起きた時の一抹の「かなしさ」は何なのだろう、と思うことしばしばである。昨日の小欄に記したように「歌を詠み・読む」ことは、自他の「人生」に深く寄り添うことでもある。そんな歌の仲間との「逢瀬」は、必然的に「夢見ごごち」になるということだろう。翌朝に目が覚めた瞬間から、再びまた「現実」に引き戻される。起きてすぐに何をするか?やはりスマホを探すことが一番であったが、いつもの充電場所に見当たらない。その折のことばにならない焦りと悔いの入り混じった感情が、さらに「現実」と「酔狂」との落差を実感させ、「かなしみ」の淵に我の心を誘って行くのである。

元日から1週間が経過している。「最高の年越し・新年」と思っていた「夢心地」もまた、「現実」との接点で好転もすれば、つまづきの不運に見舞われることもある。例年は正月の旨酒を酌み交わしている近所の親友と、今年はまだ呑めていない。あらためて人との「逢瀬」の貴重さ稀少さを思い、混沌とした気分になる。「逢瀬」とは『日本国語大辞典第二版』によれば、「相会う時。会う機会。特に男女が会うことについていう。」とあり、用例として「謡曲・砧」から「天の川波立ち隔て、逢ふ瀬櫂なき浮き舟の、梶の葉脆(もろ)き露涙」などが引かれている。波に隔てられ、櫂なき船を漕ぎ、当て所ない梶に涙する。人生において、1度1度の「逢瀬」がそんな「奇跡」ともいえる出逢いの繰り返しなのである。などと突き詰めるゆえの「かなしさ」なのか。ことばの縦横無尽な正負の効果に、深く感じ入るのである。

ふるさとのさほの河水けふも猶かくてあふせはうれしかりけり(『後撰集』雑二・一一八一)
この日は宮崎地獲れ「とわたりがに」をいただく
やはり「酒なしにしてなにのたのしみ」と牧水先生の歌を口遊む。
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