プロとして表現者として

2017-01-06
「プロ」とは特別のようだが
「教師」もすべてその意識が必要
表現者として飽くなき追究を・・・

桑田佳祐さんの年越しライブで今年を迎えたことは既に何度も小欄に記したが、その鮮烈な印象は未だ脳裏に深く刻まれている。大仰であるが「2017年、僕は生まれ変わった」といっても過言ではない。ステージが間近に見渡せる「バック」に座ったことも相俟って、何より桑田さんのプロとして表現者としての飽くなき追究に魅了されたからである。浮き沈みの激しい芸能界で音楽界で、彼が輝き続けているのは、真の「プロ」意識があり真に歌を多くの人々に伝えようとする意志に、確固たる姿勢があるからに他ならない。曲にことばを載せて多くの人々の感性を揺さぶるという表現者としての矜持を、少しでも見習いたいと志を新たにしたのが「生まれ変わった」所以である。

考えてみれば当然ながら、僕らの仕事も教育現場の「教師」もすべてが「プロ」である。眼前の一人ひとりの子どもたち・学生たちの人生において、大きな責任を持つ。前述したように桑田さんの曲で僕が志を新たにするように、「教師」も子どもたちの「志」を存分に揺さぶり可能性を引き出す役割がある。〈教室〉で投げ掛ける声によって、また子どもたちの日記に記すコメントの文字によって、何かを起動させるが如く魅了しなければならない。多数に投げ掛けることばであっても、個々の経験が起ち上がり自らの「生きる」を考えることに導く表現が求められる。「教師」になるということは、眼前に向き合う他者の人生と対話的に関係するということでもある。それが表現者としての意識ならば、「短歌」を創ることもまた同質の「意志」に支えられているといってよい。

君は「プロ」を目指している
表現者として妥協なくことばに繊細たれ
新年の初講義で、こんなことを冒頭で学生たちに伝えようと思う。
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