「スピード感」より冷静沈着
2017-01-05
強引に左側から抜き去る車先へ行けば到着時間はそう変わらず
空吹かしによる「スピード感」は危ういだけでは・・・
一般道50 Km制限で「登坂車線」が用意されている箇所でのこと、後ろに付けていたワゴン車がその車線を利用して僕の車を強引に抜き去った。通例では僕が左によけるべきなのかもしれないが、特段遅過ぎもせず走行していただけに、そのワゴン車の行為が妙に愚かに見えた。さらにはスポーツタイプの外国車も追随して来たので、2車線区間は残りわずかであったが左側によけて1車線に絞られる間際で、奴さんを見送った。しばらく走ると1車線区間でマイペースな農家の方らしき軽自動車が走行していて、すぐさま僕の車は奴らに追いついた。強引な危険さ、加速時に使用する過剰な量の燃料、果たして奴らの「スピード感」は必要なものなのだろうか?などと考えながらハイブリッド車の計器に目をやり、燃料消費を控えて排出ガスを抑制して走ることを旨としている自己の「冷静沈着」を自覚するのであった。
カーラジオからは仕事始めで東証大発会の音声が流れ、ダミ声の政治家が聞き心地の悪いコメントをしている。そして他のニュースでも政治家の声が流れる。そこで口にされる語彙として目立つのが「スピード感をもって」である。彼らの中で一つの流行になっているとも思えるほど、様々な分野で最近耳にすることが多い。もちろん類義語として「迅速な対応」があるのは周知のことである。もちろん緊急事態であれば「スピード感」ある「迅速な対応」が求められるのは自明であるが、殊に「経済」に関して強引な追い越しに類する「スピード感」など必要なのかという疑問を抱いてしまう。むしろ冷静沈着に無駄な燃料消費を抑えて、地道に足元を見て国民一人ひとりが真の「幸福」を感じられる社会であるべきではないのか。待てない・余裕のない・穏健でないことの先には、疲弊した結末しか見えないのは、僕のような運転者だけなのであろうか。
「急いては事を仕損ずる」
思考が「沈着」する時間を待てるということ
冷静さを欠く強引な「飛翔」を唱えても「酉」は喜ぶまい。
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