今日を 今日を生きる

2016-12-31
普通に与えられる今日を
どれほど健康で何事もなく生きられるか
かけがえのない大切な「今日」として生きること

忘れもしない8月9日(火)朝、僕は研究室で9時から開始される教員免許更新講習の準備をしていた。ひと通り準備を整えてスマホをチェックすると、音楽仲間からメールが届いていた。それは仲間の一人が急な病に倒れたという内容で、その文面を読むと喩えようのない涙が溢れ出し、しばし放心状態となった。30分後には教室に出向き更新講習を開始せねばならないが、たいていのトラブルや緊張感には対応できる僕であるが、さすがに講習ができるかどうか?といった疑念までが頭をかすめた。メールをくれた仲間もまだ十分に状態を把握している様子ではなく、漠然とした内容に余計な心配が掻き立てられた。この仲間たちとは長年にわたり音楽活動をともにしてきて、今年の3月にも8年ぶりのライブを実施できてさらなる可能性を発見したところであった。それだけに夏の日のショックは計り知れないものであった。

幸いに1ヶ月後の9月上旬、彼は1ヶ月の治療を経てリハビリ病院に転院し、面会ができるまでに回復した。仲間たちとともに病床に出向き、いつもの調子で聊か冗談交じりの会話を1時間以上楽しむことができた。後に本人の弁によると、これで病床に伏していた際の頭の中が刷新され、回復に向かって効果的であったと医師にも言われたと聞いた。気の置けない親友たちとの会話は、生きることの大きな糧なのであると悟った。そしてこの年の瀬も押し迫った1日、彼を囲んで全員のメンバーが「快気祝い」として集合できた。後遺症もほとんどなく、新年から職場に復帰すると云う。一時は仲間内で命の危険さえ考えなければならなかったことを思うと、「奇跡の年末」といっても過言ではない。それはもちろん本人が不屈の精神で回復に向けて努力したことが、何より重要であったのは間違いない。そんな仲間たちと楽しく過ごして、あらためてこの与えられた自己の「生命」の大切さを痛感した。年末年始となると高まる時間意識の中で、「今日」を何事もなく「生きる」ことがどんなに大切かを思い知ったのだった。それにしても親友の回復に、来年へ向けて素敵な光明を見た思いがした。

「今日を最後だと思い」(スティーブ・ジョブズ)
そしてまた「今日を生まれたばかりだと思い」(茂木健一郎)
僕たちは「今日を」そして「今日しか」生きられないのである。

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