自作の善し悪し尤も弁へ難き事なり

2016-12-28
「自分の歌」を「自分で読む」のは難しい
藤原清輔『袋草紙』の名言に学ぶ
となると日常の様々な出来事も自分の事は・・・

年の瀬も迫り、どうしてもこの1年を回顧する心情が起ち上る。「あっという間」だと思うのは簡単だが、それぞれに苦労した事や楽しかった事、悩んだ事や救われた事などなどを一つ一つ思い返せば、やはり今年も1日1日の貴重な時間を重ねて来たと自覚できる。さらに精緻に回顧するならば、小欄を今一度今年の初めから読み返せばいいのだが、なかなかそれほどの時間も用意されていない。時折、下欄にまとめて掲出されたテーマごとの題から、「あの時はどんな思考であったか?」と回顧すると、思わぬヒントが得られることもある。これ一つをとってみても、「自分の事」を十分に「自分ではわかっていない」ことが、ようやく自覚される。それゆえに常々、親友ご夫妻のお店に出向き、何とはなしに日常を語り「自分」を「他者」の鏡に映すようにしている。しかも大学や僕の関係する分野とは違った世界で生きている親友ご夫妻のことばには、意外な金言が含まれていることがある。この日も「1年間よく来てくれました」と、気持ちのよい「食べ納め」をする宵の口であった。

さて本日の題としたのは清輔の名言で、「自作(和歌)」の「(出来映えの)善し悪し」は「尤も弁へ難き」ものであると云う。やはり歌を創れば「自作」はよかれと思って創るゆえに、可愛く思えるのは必然である。だがそれを「歌会」に出詠し多くの方々の「読み」に接すると、十分に趣旨が伝わらないとか、表現が適切ではなかったなどという反省が多々もたらされる。すると「もっと自分の歌を読んでおけばよかった」という気持ちになるので、「自分の歌を読むのは難しい」ということにもなる。「難しい」というよりも、可愛がり過ぎて欠点を見ようとしないという方が適切かもしれない。まさに自分の歌に対しては「親バカ」な状態にあるのではないかと思うことがしばしばだ。同時に他者の歌に対しても思い込みを排しどれほどに深く「読めているか」を、常に考える必要があるだろう。このような意味では、「1日1首」を創って手帳に記しておけば、「あの日あの頃の自分」をもっと的確に顧みることができるかもしれない。先日、歌人の伊藤一彦先生と飲んで話していると、年間に500首ぐらいは創ると云う話を伺った。そして「創れば創るほど歌は上手くなる」とも。「その日」にはわからなかった「善し悪し」も、手帳で寝かせておけば、後になってようやく「読める」ようになるかもしれない。

「生きむとする本然の欲求・生命のよろこび・いのちの嘆き」
「人生を、自己自身のいのちを知るは、
 即ち歌を知ることであると云ふも過言ではないからである。」(牧水『短歌作法』より)
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