短歌県みやざきと読解力

2016-12-27
「五七五七七という封筒に心を詰めて短歌は手紙」
(俵万智「海のあお通信」宮崎日日新聞2016年12月26日付より)
「読解力とは、言葉を通して他人のこころを理解し解釈する力」(同紙「現論」より)

毎月地元紙での俵万智さんの連載が楽しみである。短歌一首が掲げられ、地元宮崎に対する愛情あふれた内容がそこには記されている。僕自身がそうであったが、「みやざき」という土地は住んでみると不思議な魅力にとり憑かれるかのように、こころから愛好したくなるのである。移住後の万智さんの連載には、そんなこころが存分に表現されている。今回の連載の内容は、先日小欄にも記した「ねんりんフェスタ」の歌への思いと、伊藤一彦さん・坪内稔典さんらとの談話の中で、「みやざき」は「短歌県宣言を!」と盛り上がったといった内容が記されている。僕自身も従来からそんなことを考えていたので、著名な歌人の方々と大学や行政が一体となって、そんな「文化事業」が様々に展開する”真に豊かな”土地を目指したいという思いが現実的になった気がした。そこには従来から「みやざき」に根付く「人柄の良さ」も、重要な要素だと考えたい。「他者のこころを理解する」ことが、社会を淀みなく順調に活性化させる基盤であると考えるゆえである。

同紙の「現論」欄に京都大学名誉教授・佐伯啓思氏が「若者の読解力低下・文化の質大きく変容」を寄稿していた。先頃公表された2015年PISA(OECD経済協力開発機構)学力調査で、日本の高校1年生の「読解力」が前回の4位から8位に後退したのを受けて、「文学の国」フランスは19位・イギリスは22位といった数字を挙げつつ「この種の順位に神経をとがらす必要はない」とする見解を述べている。確かに「経済」を基準とする団体による調査という点からも、”真に豊か”であることとは視点がズレているのではないかと、特に「短歌」などをやっている身からすると思うこともしばしばだ。だが佐伯氏は、昨今のIT環境上の「端的であけすけ単語の組み合わせ」により「読解力」の無効・無用が進行していることに警鐘を鳴らす。例えば小欄ほどのどちからといえば「短い」文章でも「読みづらい」とされ、1行2行程度の散発的で安易な表現のブログなどが横行し、ましてやTwitterやLINEの表現は「好き・嫌い」などと「あけすけ」なのである。「解釈する力」が重要であることの意味を佐伯氏は、冒頭に記した「読解力とは」で端的に述べるとともに、「表現力」にも表裏一体で関係しており、「人間の社会性の基礎であり、文化の基礎」であると述べている。「分厚い書物」からなにかをえようとすると、「解釈」があり「自己と他者の対話」があり「対話によって他人のこころの内に入り込む」コミュニケーションを育むことになると云う。「大事な一冊の本」「一人の大事な人」との「会話」を楽しみ(時には苦しみ)そこから「おのれを見出す」という「他者理解」が低減してしまっている社会こそに佐伯氏は危機感を表明しているのである。この読解力に関する論調に対する改善策として、日常的に「短歌を嗜む」ことが、どれほどに有効かに社会全体が気づいてこそ、”真の豊かさ”に向かえるのではないだろうか。

知事周辺も短歌に理解のある、まず「みやざき」から始めよ
「表現」と「解釈」には「社会性」があるのだ
高齢者が短歌を詠み・読むことに、この国の将来がかかっているとさえ思うのである。
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