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手作り料理と「実践=研究」

2016-12-25
出来合の料理を買わず
手作り料理を作る意味とは?
「実践=研究への発想の課題」
(言語文化教育研究所・ルビュ言語文化教育メルマガ・主宰・細川英雄氏巻頭言より)

大学院時代に興味があって受講した「日本語教育」のオムニバス講義で、細川英雄氏と出逢った。正直なところ受講している当時は、その「言語文化」への考え方に対して僕自身の中で腑に落ちないことが多く、その後も深い親交を持っていたわけではなかった。それが数年前に国語教育系の研究学会で再会した後、メルマガの登録をご本人から勧められ手元の大学アドレスに定期的に届くようになった。巻頭言にある細川氏の考え方を必ず読むようにしていると、現在僕が考えていることと共通項が多く、大変参考になる内容なのである。メルマガ最新号の巻頭言は冒頭に記したような内容があり、まさしく日常性を伴った例示があり深く考えさせられた。

特に「実践=研究」という立場の主張は、現況の大学教育を考える上で貴重な提言である。その例示の趣旨を聊か書き記すと、「だれかと一緒においしいものを食べたいと思って材料をそろえ、調理をし、食卓を飾る」ことは「生活の中の実践」であり、そこで「おいしいものを楽しくたべるにはどうしたらいいか」を考えるのが、「生活の中の実践であり、同時に研究でもある、と云うのである。その上で、「ただおなかを満たすために、インスタント食品をむさぼる」ことには「創造的な何かをしようとする視点がない」と云い、「そういう食を続けていると、さびしい人になる。」とされている。最終的に「有害添加物だらけのインスタント食品を機械的に与え続けるような実践はできるだけ回避したい」として、「なぜその食事をとるのか、そこにどんな意味があるのかといったことを、ふと立ち止まって考える時と場が必要だ。」と文章は締め括られている。

このメルマガを読んだせいではないが、クリスマスイブにあたり、外食ではなく自宅で「手作り料理」にこだわろうという思いが強かった。材料を自分の目で見極め、できるだけ地産地消で宮崎県産を選択し、調理にも化学調味料など食品添加物を使用しないようにして、何とか料理を仕上げようと「創造的な何か」を模索した。スーパーに行くと様々な新鮮食材が目に入る一方で、出来合いの加工食品や、チキンのパーティーバーレルなどと称した料理も所狭しと並べられていた。さすがにこの日は、多くの家族連れが買物をしているが、こうした加工食品ばかりが籠に詰め込まれた子供連れを見ると聊か寂しい気持ちになった。それは、親が料理を創るという実践を通して、子どもたちの健康はもとより、コミュニケーションなどの「意味」を考えないでいいのか、という研究者としての意固地が心に蔓延してしまったからである。そのように思われた家族にとっては「余計なお世話」なのであろうが、ある意味でこの便利過ぎる「社会」のあり方に、聊かの不安を覚えるのは僕だけではあるまい。他人はどうあれ、僕自身は自宅で「手作り料理」を何とか「創造」するに至った。その意味は、ここに記せないほどに大きいものが自分の中で腑に落ちた感覚があった。大企業の論理だけがまかり通り、有害とわかっていても食品添加物でかりそめの「おいしさ」を偽装したものに対する、自らの立ち位置を示すことができたからであろう。

「実践=研究」において言い訳なく
自らの「生命」を繋ぐための「いただきます」
その共通点をクリスマスイブに実感する、こころの穏やかさがいい。
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