教科専門と教科教育の融合とは

2016-12-22
教員養成学部の新たな方向性
文科省からの提言がなされ
専門分野と教育分野の融合とあるが・・・

ここ数年来、大学における「人文科学」の軽視や再編統合といった話題が尽きることはない。心理学や社会学ならまだしも、「文学・語学」関係者は特に危機感を持って対応せざるを得ない実情である。教員養成系はどうかといえば、やはり再編統合といった渦中にあって新たな方向性が模索されつつあるようだ。既に地方国立大学では教職大学院が設置されて、修士課程ではなく専門職学位課程になり修論はなく課題研究を課し、実習実践が中心で学校現場におけるリーダー養成や教員再研修、高度な教科教育技術を習得した人材の輩出を目指すようになってきている。こうした流れは、文学部出身で文学研究を基盤とした教科教育を中心とする課程で学んできた僕としては、大変違和感を覚えることが少なくない。僕の大学院での恩師は常に「文学研究こそ最上の教材研究である」と訴えて、『更級日記』研究の第一人者でありながら教科書編集や国語教育への提言を常になさり、院生への指導をされていたからである。

文科省から教科専門と教科教育の融合を図る、といった方向性が提言されている。「融合」となれば相互に軽重があるべきではないだろう。前述した「文学研究こそ最上の教材研究」という姿勢を教員養成に導入すべきである考えてよい筈だ。だがしかし、どちらかといえば文学研究の意義を見出そうとはせず、技術的な指導法に偏りがちであることが大きな問題であるように思われる。もちろん「教材を教える」時代は過去のものであり、「教材で身につく力」を養うというあり方には賛同できる。「文学」を追究することで「身につく力」とは、自らの日常性を起ち上げて虚構の中に現実以上の真実を発見する思考力・想像力。そして文学を深く享受して自らがことばを媒介として創作的に表現する力。その創作を声に出したり文字にして書き付けたりして他者に伝わるように熟考して表現する力。文学を「聞く・読む」のみならず、それを起動源として「話す・書く」具体的な活動を行い、「総合的なリテラシー」とするということ。こうした方向性をもつためにも研究者は実践者であるべきで、創作者との交流のみならず自らが様々な分野の表現者を目指す必要があるのかもしれない。

明治の学者は創作者であった人も多い
本気で「国語」を「尊重」する教育とはなんだろう?
社会の風を読みながらも自らすべき仕事を見定めている。
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