書き淀む言い淀む前に
2016-12-20
模範的な「正解」を求めようとしてなかなか自らの発想が言葉にできない
まずは思いを声にしてみることから
原稿用紙を前にすると、固まってほとんど手が動かなくなる子どもたちがいる。学校現場の「作文」(最近はこの用語は使用しないことになってきたが)学習の時間の教室の光景として、あるいは自ら身に覚えがある方もいるかもしれない。その結果、「私は文書を書くのが苦手だ」と思い込んでしまい、それを大学生でも社会人になっても引きずっている人がいる。「教室」という”装置”が書くべき内容に道徳性を求め、自由な発想を表現する環境にはなっていない実情が影響しているからであろう。大学1・2年生の講義になると必ず、小中高で身についたこうした悪弊を取り払うことを試みている。小さな課題を出してそれを個人思考3分間でことばにする。時間制限を設けることで、学生は何らかのことばを吐き出さざるを得なくなる。その後は周囲の他者と何を書いたかの意見交換に及び、「他者との違い」を発見することに重点を置く。「みんなと同じ」ではなく「個々の他者と違う」ことを意識させるのが肝要である。
必要があって牧水の作歌指南書『短歌作法』を読んでいたら、歌を作る際もまずは「心の声」を吐き出すようにするとよいといった趣旨のことが書かれている。彫刻家「ロダン」の言説を引用し、「目鼻立ち」などの仔細な点ばかり考えていては彫り始められないという趣旨が示されている。思考の中ですべてを「完璧」に仕上げてから動作に入るのではなく、彫りながら思考が活性化してあらたな発想も湧いてきて、適切な「目鼻立ち」を彫ることに至るのだと云うことだろう。短歌などは特に”傍観者”であっては何も分からない。自らの「心の声」をいかに素直になって聞いてみようとするか、そこから「歌」が生まれてくるというわけである。日常の喧騒に紛れると、どれほどに作為が先行してしまうか。作歌をしていると、自らこんなことを省みている。
理論を理解しなければバットスイングはできないのか?
否、まずは「ボールを打ち返す」本能が肝要なはずだ
「表現」そのものが「思考」であることを忘れてはなるまい。
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